オー、ロッド!



最近、ロッド・スチュワートのライブをYou Tubeで見つけた。これがきっかけで、唯一ぼくが持っているアルバムA Spanner in the Worksを聴き返した。1曲1曲が粒ぞろいだ。どれもロッドのオリジナルのように聞こえるが、ほとんどは様々なミュージシャンの楽曲をカバーしている。クリス・レアのWindy Townとか、トム・ペティのLeave Virginia Aloneとか、サム・クックのSoothe Meとか、ボブ・ディランのSweetheart Like Youとか、それほど知られていない佳曲が並ぶ。トム・ウェイツのHang On St. Christopherもカバーしていてこれがなかなかいい。(A Spanner in the Worksでは39分50秒くらい。)
で、図書館でトム・ウェイツのベスト盤を借りてオリジナルを聴いてみた。同じ歌とは思えないくらい違う。あまりにも渋すぎる。歌詞が聞き取れないぼくとしては、このバージョンで初めて聞いたら、完全にスルーしていた。トム・ウェイツはサードアルバムくらいまでは、まだ分かりやすかったと思うが、だんだん難解になっていった。
こうして聴き比べると、ロッドの選曲とアレンジのセンスがいい、というか一般向けなのが分かる。他の曲も、オリジナルで聴くとけっこう地味な曲が多いのかもしれない。
なお、アルバムタイトルA Spanner in the Worksは、throw a spanner in the works(仕事や計画の進行を邪魔する、ぶち壊す)というイディオムからとっている。邦題は本アルバムの7曲目に収録されている曲のタイトルをそのままとって「ユア・ザ・スター」。
ロッドは他にも、ロックのスタンダードをカバーしたアルバムをたくさん出している。だが、このアルバムはオリジナルとカバーが適度に混じっていて、選曲もよい。ロッドのベストアルバムの1枚と言ってもいいのではないか。
聴き返してみてそう思った。

2017/04/16 18:34 | 音楽COMMENT(0)  TOP

憂春



小島ゆかりの歌集、続いて『憂春』を読む。これは2005年の作品。図書館にあるだけだとここまで。あとがきには、これは第7歌集と書いてあるが、最初の頃の歌集は、複数の図書館を検索したが、置いてなかった。
短歌を読む人が少ないのか。詠む人は多いのにね。県立図書館に行って短歌の書架を見ると実に様々な歌人の歌集が1冊ずつ並んでいる。俵万智とか、河野裕子とか、ぼくの知っている名前はごく少数で、ほとんどは初めて見る名前だ。
というわけで、小島ゆかりの短歌をもっと読みたいと思うのだが、歌集1から6は入手困難だ。アマゾンでもほとんど売っていない。

『憂春』で白眉は、圓生の落語「水神」を題材にした「おこうと杢蔵」という連作だ。30首ほどの連作で、「水神」のストーリーを上手く描いてみせる。ほかに説教節の「しのだづま」と「小栗判官」をモチーフにした連作もいい。物語に沿って歌を詠んでいくという上手い趣向を思いついたものだ。
連作はまとめて読まないと良さが分からないので、それ以外から、印象に残った歌をいくつか挙げる。

歳晩の鍋を囲みて男らは雄弁なれど猫舌である
りんかい線ホームに立てばよみがへるフラスコの中の空気のにほひ
タチウオであった場合の一生をおもへば遠き雲照り出づる
「ここからはひとりで行くわ」あの夏のわたしは誰に行いつたのでせう

2017/04/12 20:56 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

さくら



歌集『さくら』は2010年刊。父の認知症や自身の鬱病など、まだ描き方が熟していない、というか、表現を模索しているところがある。そしてこの模索の先に『馬上』があるような印象を受ける。

認知症になった父親を介護する日々の思いを、日常の何げない場面を通して描く。そこはかとないユーモアと淡々とした描写から、かえって父への愛情がにじみ出てくる。作者はほんとうに父親が好きだったんですね。
一首だけ引く。

このうへもなく愛されし罰として見届けん父の惚けきるまで

それにしても歌人というのは難しい言葉を知っていますね。
たとえば、「にがれむ」。これは「(牛などが)反芻する」という意味。
たとえば、「かまつか」。これはバラ科のウシコロシの別名。その木材を鎌の柄にするところから「かまつか」というらしい。わりと高い木で、赤い花がいっぱいに咲く。

菠薐草は、「はりょうそう」と読む。ホウレンソウのこと。
尉鶲は、野鳥の「ジョウビタキ」。
こんな漢字どこで覚えるのかな。
歌人もなかなか大変だ。

2017/03/25 22:45 | 未分類COMMENT(0)  TOP

キケロ



ネイティブと一緒に英語の短編小説を読むというクラスで、『エイジ・オブ・イノセンス』で知られているイーディス・ウォートンのAutres Temps…という小説を読んでいる。『エイジ・オブ・イノセンス』はミシェル・ファイファー主演で映画化されているので、ご存知の方もいるかと思う。監督は『沈黙』のマーティン・スコセッシ。
Autres Temps…というタイトルはフランス語のことわざの前半部分。全部言うとAutres temps, autres moeursとなる。「時代が違えば、風俗も違う」という意味だ。
この短篇のパート3の初めのところに、ciceroneという単語が出てきた。英語風に読むと、シセローネとなる。「案内人」という意味。ギリシアの哲学者キケロ(Cicero)が語源である。(Ciceroは英語風に発音するとシセロとなる。)「キケロCiceroのような雄弁家」というのがもともとの意味らしい。
で、ネイティブの先生がciceroneをイタリア風に読むと「チチェローネ」となると何気なく言った。これを聞いて長年の疑問が解けた。
林達夫著作集の1つに『芸術へのチチェローネ』というタイトルの本がある。何十年も前から、このタイトルは知っているが、チチェローネとは何か、ずっと疑問だったのだ。「芸術への案内」といった意味だったんですね。
林達夫著作集は何十年も前から持っているのだが、『芸術へのチチェローネ』は読んでいなかった。読めば、チチェローネの意味が書いてあるのかもしれないが、不勉強のため、こんなことが分かるのに何十年もかかる。

2017/03/19 21:53 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

馬上



小島ゆかりのフィルターを通ると、どんなものでも歌になってしまう。
大相撲、国会中継、東日本大震災、原発再稼働、憲法改正、老人介護、臓器移植、父の死、政治家の街頭演説、茂吉や左千夫へのオマージュ、児童虐待、認知症の母親の世話、自分の体調……などなど、彼女が歌うとそこに詩が生まれる。
もちろん、何気ない日常や、自然や風景を読んだ歌もたくさんある。真面目な歌もあればユーモラスなものもある。
彼女にとっては、生きていることすべてが歌になる。つまりテーマを選ばないということだ。そして何を切り取ってきても、小島ゆかりの歌になる。
サクサク読めて、笑えて泣ける。
ここには等身大の小島ゆかりいる。
そして彼女を通して見た、現代日本の社会がある。

前から通して読むとそれぞれの歌が響きあって、互いに歌が引き立つ。だからぜひ初めから通して読んでいただきたいのだが、あえて、ぼくが気に入った歌をいくつか引用してみよう。

山側を背にするときにおそろしく影が濃くなる夏の鎌倉
「東日本大震災で亡くなった方」二人増え梅雨明けしたり
いま湧けるこのあたたかき感情は要注意、また思い出がくる
耳遠くなるかとおもふ酷熱の街は真鍮色にゆがめり
今日ひどく心疲れているわれは買い物メモをポストに入れぬ
<らーめん>の行列の女子の割合は女性管理職の割合ほどか
人の歌を没にしけしからん歌人(うたびと)ら明るいうちから酒を飲むなり
かつてわが通知表を見せしごと検査結果を見せにくる母
われ無しで子らはもう生きわれ無しでもう生きられず老いたる父母は
蝉になった男、男になった蝉あるだらうそれを見ていた女も
終はれよと思ひ終はるなと思ふ介護のこころ冥(くら)き火を抱く
ゆふぐれの驟雨に濡れて飛び立てる冬の鴉のびいどろのこゑ
消灯ののちしばしの空刻(くうこく)に吹雪のなかの原子炉は見ゆ
さやゑんどう炒めて藻塩少しふるこの指加減をアシモ君知らず
さうか君は糞をするために来たんだねひかりあふるるこのベランダに
「簡潔に」と言われてもなほ言ひ募る安倍総理おちついてください
笹百合のつぼみは鶴の気配して古代と同じ夏の月照る
神秘的リズムをもちてほぼ歩きときどき走るリオネル・メッシ
尊敬をリスペクトと言ふ人なぜか増えつつ プリペイドカードの時代
雨の夜の月こそあやし月を恋ふこころはやがて月を身籠る
増えすぎた記憶こぼれてあそこにもそこにも赤きサルビアの花
りるりるり虫鳴く夜のりるりるり涼しきりるり孤りのりるり
朝からの夫の放屁におどろかず秋の窓辺にコーヒーを飲む
「あぶないことしてはだめよ」という教へおもいつつ見る体操競技
玄関にカナブンひとり訪れてはじまる推理小説の夜
スマートフォン使へぬわれに負け惜しみの広き空あり白鯨がゆく
ベーカリーの鈴(りん)の鳴るドア入りたし夢見るころのやうな顔して

2017/03/06 21:26 | 本の紹介COMMENT(2)  TOP

 | BLOG TOP |  NEXT»»