シャンソンの名曲1



図書館で検索していたら、10枚組の『シャンソン名曲大全集』というCDがあった。早速、第1巻と第2巻を借りてみた。永田文夫による分厚い解説書が付いてきた。歌詞カード、訳詞、収録されている歌手の略歴、曲の紹介と、かなり詳しい。
いまのところ、1、2、3、4巻と9、10巻を聴いたが、1枚のCDに1曲か2曲は聞き覚えのある歌がある。昔からシャンソンに興味はあったが、わざわざレコードを買ってまで聴くことはなかった。ほとんどはNHKFMなどからの聞きかじりだ。ということは、逆に言えば、ぼくのセンサーに引っかかった曲は日本でもかなりヒットした曲ということになる。
もちろん、「オー・シャンゼリゼ」とか、「夢見るシャンソン人形」とか、日本でもよく知られている曲も入っている。以前紹介した、サーカスの「Mr.サマータイム」の元歌、「愛の歴史」も入っている。また、「ラストダンスは私に」や「花祭り」なども、シャンソンとして歌われている。
「聞かせてよ、愛の言葉を」「待ちましょう」「暗い日曜日」「パリ祭」「あじさい娘」など、曲名だけ知っていて、メロディはほとんど知らない曲もある。
「そして今は」(グロリア・ロッソ)は、なんとなく聞いたことがあると思った。調べてみたら、オリジナルはジルベール・ベコーだった。「リラの花咲く頃」は宝塚で知られている、「すみれの花の咲く頃」の元歌だ。
第3巻の1曲目に入っている「幸せを売る男」というのも聞き覚えがある。♪おいら街の 幸せ売りよ~というやつですね。と思ってYou Tubeで検索してみると、越路吹雪やザ・ピーナツは歌詞が違う。宝塚や先代の林家三平も越路吹雪バージョンで歌っている。田辺優理子、別府葉子などは、♪おいらは街の 幸せ売りよ~と歌っている。「幸せを売る男」と言ったらこれだろう。越路吹雪なんか知らねえよ……と、言いたいところだが、皆さんはどうだろう。
ぼくが聞きおぼえていたのは、高英男のバージョンだったらしい。珍しいところで、女優宮城まり子も「幸せを売る男」を歌っているが、高英男バージョンを採用している。しかし、宮城は「おいら」ではなく「私」と歌っている。You Tubeで検索すると、越路派と高派と半々くらいに分かれるが、どちらのバージョンも何故か女性が歌っていることが多く、ほとんどが「私」と歌っている。男性も一人いるが「私」と歌っている。「おいら」を採用しているのは、ぼくが聞いた限りでは、田辺優理子だけだ。いわゆる「刷り込み」というやつで、ぼくは最初に聞いた「おいら街の 幸せ売りよ」がベストだと思うが、いまどき自分のことを「おいら」なんて言うのは北野武くらいしかいないからなあ。
You Tubeで良く聴くと、越路、高の歌詞とは違う、第3のバージョンもあるようだ。

2017/06/27 21:51 | 音楽COMMENT(0)  TOP

2羽のフクロウ



イートン校の生徒だった著者が2羽のフクロウのヒナを育てた体験談を語る。
たいへん面白い話だが、最初がちょっときついと思う。
ねずみや小鳥を餌として与えるのだが、最初からくちばしで食い切れるわけではないので、著者が細かく刻んで与える。この辺の描写は、田舎育ちのぼくも、さすがにきつかった。食事の前には読まないようにしたほうがいい。

イートン校は寄宿学校だが、著者は寄宿舎の自分の部屋でフクロウのヒナを育てる。
本の宣伝文句だと、著者がすべて育てたようにとれるが、そうではない。最初の何週間かは家で、動物好きの母親と妹が面倒を見たりする。また、長期の休みには家に連れ帰ったりもしている。
著者は家から寄宿舎にフクロウを運ぶ時、電車にいっしょに乗せている。いくら小さいとはいえ2羽のフクロウは目立つし、他の乗客に危害を加えるおそれもある。しかし、駅員は見て見ぬふりをしてくれる。タクシーの運転手も、しぶしぶであるが、駅からイートン校までフクロウを連れた著者を乗せてくれる。帰りも、友達に手伝ってもらって、2羽のフクロウを連れて、何とか電車で家まで帰ってくる。
この辺がいかにもイギリス的だ。のんびりしている……と思いながら読んでいくと、これは1959年の出来事だった。さすがに今のイギリスではこんな牧歌的なことはできないかも。
読売の書評で読んで、原書を買ってみた。書評だけ読むと最近の本かと思ったが、かなり以前に出ていた本なのですね。おそらく、ハリー・ポッター人気でフクロウが脚光を浴びているので、こんな何十年も前に出た本が新刊の翻訳として出てきたのだろう。
古い本だが、しかし、内容は古びていない。イートン校でフクロウを育てていく様子が生き生きと描かれている。まあ、2羽のフクロウたちと筆者の交流が描かれているだけだから、内容は古びようがないのだが。

『セルボーン博物誌』という本を思い出す。イギリスのセルボーンという田舎町に住んでいた牧師さんが、身の回りの動植物をひたすら観察した記録だが、こうした地味な本が、イギリスでは博物学の古典となっている。確かこの本でも、初めの方に動物を徹底して解剖している描写があったと思う。それで閉口して読むのをやめた記憶がある。
『イートン校の2羽のフクロウ』で、red in tooth and claw(牙や爪が血で赤く染まる)という言葉を引用している。自然界は弱肉強食だし、フクロウは基本的に生きたねずみなどしか食べないということは頭では分かっているが、非情の世界をありのままに描かれると、農耕民族の血が流れているぼくは少々たじろぐのである。

2017/06/23 17:56 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

梅は咲いたか



三味線などを伴奏にして歌う端唄(はうた)というのがある。江戸の末期に庶民の間で流行ったそうだ。歌詞は七五調が基本で、読みやすく、本来歌うためのものだから、調子がいい。
現代まで歌い継がれているものもある。例えば「お江戸日本橋」とか、「梅は咲いたか、桜はまだかいな」なんていうのも、元は端唄だ。漫才の内海桂子好江がよく歌っていた「奴さん」なども『端唄集』に入っている。
たいていは恋の歌、ラブソングが多いが、世相や政治を反映しているものもある。
幕末に流行ったので、ベリーの黒船来航や大津絵について歌っているものなどもある。古典に材を取ったものもある。源氏物語を桐壷から始まって、1帖ずつ3行くらいに筋を要約した端唄がある。長い話を思い切り短くするわけだから、元の話を知らないと理解できない。こういうものが流行ったということは、江戸の庶民の間では源氏物語の筋がかなり浸透していたことが窺える。また、百人一首を1首ずつ下敷きにして、都々逸にしているのもある。これは注に元の和歌がついているので、どこをどうもじったか、分かりやすいし、面白い。
忠臣蔵に材を取った端唄もある。こちらも、1段目から11段目まで、各段の筋を短くまとめている。これも忠臣蔵の筋を知らないと、まとめ方があまりにも簡単でよくわからないだろう。子供向けの『仮名手本忠臣蔵』を読んでから、読み直してみたら、これらの端唄が非常によくできているのがよくわかった。
例によって岩波文庫の注は簡単だ。
例えば、1番目に収められている「松づくし」。数え歌になっている。「壱本めには いきの松 弐本めには 庭の松 三本めには さがり松……」と十(とお)まで続く。ところが7番目が「七本めには 姫小松」となっている。「いっぽんめ」が「いきの松」、「にほんめ」が「庭の松」ときたら、7本目は「しち」の「し」か、「なな」の「な」から始まる松が来そうだが、「ひめこまつ」と「ひ」になっている。
もう、お気づきの方もいると思うが、江戸っ子は「し」を「ひ」と発音していたので、七本目は「ひちほんめ」と読むのでしょうね。中高年だけでなく若い人にも読んでほしいのなら、こういうところに注を付けるべきではないか。
また、例によってエロティックなところには全く注がついていない。
『端唄集』の中に「俗謡十種」というのがあって「三」に「とっちりちん」というのがある。「とっちりちん」の最初に収められている「十二ヶ月」という俗謡は、正月から12月まで月ごとに、月々の行事などを読み込んでいる。これの「八月」と「十一月」にだけ全く注がない。「十一月」はエロティックなことを歌っているが、内容が分かりやすいから注がないのだろう。「八月」の方は、おそらく、恥ずかしくて注が付けられなかったのだろうな。
興味のある方は『端唄集』の133ページを、書店でそっと覗いてみてほしい。

図書館で検索したら、端唄のCDがけっこうある。美空ひばりが端唄を歌っているものがあったので借りてみた。これは本格的ですね。全く歌謡曲臭がない。古典芸能になっている。

2017/06/20 21:36 | 本の紹介COMMENT(2)  TOP

leはどこへ行った



フランスの詩人にポール・エリュアールという人がいる。そのエリュアールに、Je te l'ai dit…という詩がある。「どこお茶」をよく訪問してくださるKeityさんがブログで引用していた。
日本語訳とフランス語の原文と対訳で、全文引用してあった。で、日本語訳と原文を見比べていて、気になったことがある。
この訳文、壺齋散人という方のブログから引用しているらしい。訳は壺齋散人。まず、出だしの3行を引用する。

 ぼくが君に語ったのは雲のこと
 ぼくが君に語ったのは海に生えている木のこと
 波のこと 葉陰にいる鳥たちのこと(壺齋散人訳)

 Je te l'ai dit pour les nuages
 Je te l'ai dit pour l'arbre de la mer
 Pour chaque vague pour les oiseaux dans les feuilles(原文)

直訳すると、

私は君にそう言った 雲のために
私は君にそう言った 海の木のために
一つ一つの波のために  葉の中の鳥たちのために

となるだろう。
散人の訳では、「ぼく」が「君」に語ったのは、「雲のこと、波のこと、鳥たちのこと」となっている。以下もこの調子で、「岩がたてる音のこと ぬくもりのある手のこと きょろきょろと動き回る目玉のこと 飲み込まれた夜のこと 道沿いの柵のこと……」と続く。「私は 君に それを 語った ~のために」という構文が無視され、「~ために」の「~」の部分に入っている事柄について語ったというふうに訳している。
フランス語の初心者であるぼくが言うのもオコがましいが、ai dit(言った)の目的語はte(君に)とle(それを)ではないだろうか。(leはaiの前に置かれているので、l’aiとなっている。)それではleは何を指すかというと、この詩の最終行ではないかと思われる。
最後の2行を引用する。
 Je te l'ai dit pour tes pensees pour tes parole
 Toute caresse toute confiance se survivent.
わたしはきみにそう言った きみの想念のために きみのことばのために
どのような愛撫も どのような信頼も 生きのびるのだ、と。(宇佐美斉訳)

この場合le(ル)は定冠詞ではなく、中性代名詞。leは普通、前に出てきた属詞、節、不定詞などを受けるが、この詩の場合、最後まで来ないとle(そう)の内容が分からないように書いてあるところがミソ。
例えば英訳では次のようになっている。leをitと訳しているし、pourをforと訳している。私が君に言ったことは、最後の一行、Every caress every trust survives(あらゆる愛撫が、あらゆる信頼が、生きのびる)だけだ。

I said it to you for the clouds
I said it to you for the tree of the sea
For each wave for the birds in the leaves
For the pebbles of sound
For familiar hands

For the eye that becomes landscape or face
And sleep returns it the heaven of its colour
For all that night drank
For the network of roads
For the open window for a bare forehead
I said it to you for your thoughts for your words

Every caress every trust survives.

2017/06/05 22:03 | 語学COMMENT(0)  TOP

百年の散歩



自分でもあまり意識していないが、ぼくは意外と多和田葉子のファンらしい。和多田葉子の文章の流れに身を任せるのが心地よいと言ったらいいだろうか。以前からけっこう読んでいるし、新しく出た作品もたいてい目を通している。と言っても、話の筋は覚えていないのだが。彼女の小説は読んでいるときは面白いが、ストーリーがあまり残らないのだ。
この『百年の散歩』はエッセイなのか、小説なのか、ジャンル分けがむずかしい。ベルリンに実際にある通り(広場のこともある)を1つずつ取り上げ、紹介しているのだが、通りにいる人たちや建物の様子の描写が小説的だ。連想が働いて、途中から通りとはあまり関係ない話になることもある。
 
たとえば、リヒャルト・ワーグナー通りの紹介では、通りの具体的な描写に、ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」4部作の登場人物たちの話を織り交ぜて行く。何の説明もなくジークリンデとジークムントの出会いの場面(『ワルキューレ』の冒頭)が描写されたり、アルベリヒとラインの乙女たちの挿話(『ラインの黄金』)が語られたりする。こういうことを知らなくても、すんなり読めるように書いてあるのだが、こういうところにいちいち引っかかる人にはちょっと読みにくいかもしれない。
何しろ紹介している通りの名がカント通りだったり、カール・マルクス通りだったり、有名人の名前がついているので、その人の作品や生涯に連想が飛びやすいのだ。

この間見た読売の書評では、とにかく音楽を聴くように楽しめばいいと書いてあった。ということは裏を返せば、連想の飛躍について行こうとして挫折する読者がいるのではないかと心配して、書評子は先手を打っているのだとも言える。
ぼくも、読売の書評子が言うように、文章の流れに身を任せて楽しめばそれでいいと思う。

実はこの本、図書館で予約した。ぼくの前にも予約が入っていたので、しばらく待つことになるだろうと思っていたのだが、意外と早く本が借りられた。しかも本がきれい。ほとんど読んだ形跡がない。
読み始めては見たものの、多和田葉子のスタイルについていけなかったのだろう。
もう少し我慢して読み進めていけば、だんだんスタイルに慣れてきて、面白くなってくるのだが。 

2017/05/26 21:02 | 本の紹介COMMENT(2)  TOP

 | BLOG TOP |  NEXT»»