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令の例



桜の時期だから、いっそ「桜花」とでもしたらどうか、なんて冗談を言っていたら、梅の花にゆかりの年号になりましたね。
皆さんいろいろ予想していたようだけれど、ぼくの冗談の予想の方が少しかすったみたいです。

それにしても万葉集の歌の序文で、しかも2つの漢字がこんなに離れていては誰も当てることはできなかった。ていうか、当たらないようにするにはこうするしかなかったのかもしれないけれど。
専門家と素人の違いを見せつけられた気がします。

万葉集巻第五には、山上憶良の「しろがねも くがねも玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」とか、「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲ばゆ……」とか、教科書で習う歌も入っていますが、旅人の方を取りましたか。

で、テレビに専門家と称する男性が出ていて(歴史か何かの先生?)、「令」という字が付く名前は知らないとかなんとか言っていましたが、この人ほんとに文科系の学科の先生か。

令の字が付く名前と言えば、女優の団令子がいる。西洋古典学の藤沢令夫もいる。藤沢はプラトンの翻訳で有名。翻訳が岩波文庫にも入っている。
文科系の学者で、団玲子も藤沢令夫も知らないのはダメじゃない?

2019/04/05 17:35 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

再びE,L&P



最近、ヒュー・グラントが出ている映画を見ている。
この間、『ノッティングヒルの恋人』を見て、今回『フォー・ウェディング』を見た。
ローワン・アトキンソン(Mr.ビーン)がとぼけた牧師役で出ていた。
教会で讃美歌を歌うシーンがあるのだが、この歌のメロディに聞き覚えがある。
記憶をたどると、グレグ・レイクの声を思い出す。
そう、エマーソン、レイク&パーマー(EL&P)の『恐怖の頭脳改革』の1曲目に入っている「エルサレム」という曲だった。
ぼくはこのバージョンで覚えたから、「エルサレム」と言えば、グレグ・レイクの歌しかありえないのだが、そしてそれくらいレイクの歌声はこの曲に合っているのだが、「エルサレム」は結婚式で歌われるよく知られた讃美歌らしい。
第2のイギリス国家と言ってもいいくらいよく知られているようだ。
イギリスのロイヤルウェディングでも歌っている。
イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩にメロディをつけたものだという。

何年か前に、EL&Pの『恐怖の頭脳改革』というアルバムについて書いた。
ここでまたこのアルバムにたどり着くとは……。
いろんなところから線が繋がっていく。

2019/03/07 17:07 | 音楽COMMENT(0)  TOP

“コーヒ”を発見



『遠藤周作全日記【上巻】』を読んでいたら、「コーヒ」を見つけた。
【上巻】は、遠藤がフランスに留学したときの日記を収めている。
195ページ。1951年2月10日(日)の日記で、遠藤は労働者の家の晩餐に招待された時のメニューを書き記している。肉料理やデザートなどの最後に、「コーヒ」と書いてあった。
keityさんの指摘通り、昔は「コーヒ」と言っていたのですね。

そう言えば「1杯のコーヒーから」という歌がありましたね。
これは昭和14年の作。
タイトルは「1杯のコーヒーから」となっているが、♪1杯のコーヒから、と歌っている。
城ノ内早苗など現代の歌手がカバーするときも、「コーヒ」と歌っている。

この歌、昔から知っていたのだが、『荒地』の翻訳と結びつかなかった。

2019/02/11 16:55 | エッセイCOMMENT(2)  TOP

クジラからペリーへ



ペリーが浦賀に来たとき、幕府の役人はおろおろした。
ペリーに武力で脅されて、不利な条約を押し付けられた。
幕末の幕府の武士たちは無能だった。

教科書でも、司馬遼太郎の小説でも、こういう書き方をしているんじゃないかな。
だから大方の日本人は、そう思っているはずだ。

しかし、それはアメリカ側の資料『ペリーの日本遠征記』に基づいた見方だ。

小説家はさておき、歴史家が、ペリー来航という歴史的な出来事を扱うのに、ペリーが自分に都合のいいように書いている、アメリカ政府に提出した資料だけを基にするのはいかがなものか。
だが、140年もそういう状態が放置されていた。

『墨夷応接録』は、ペリーとの交渉を記した日本側の公式記録だ。
著者によると、幕末を研究する歴史学者にとって、基本文献中の基本文献だという。幕末史の専門家なら皆この資料を読んでいるというのだ。
ところが、何故か一般には全く知られていなかった。歴史学者が紹介しなかったからだ。
何か意図があったとしか思えない。

もう一度言うが、アメリカ側と日本側の資料を読んで、どちらの言い分がより真実に近いのか、同時代の別の資料などを参照しながら探っていくというのが学問ではないのか。
そんなことは、ぼくのような素人でもすぐに考え付く。
日本の歴史学者は何をしてきたのか。

『墨夷応接録』の著者は若い研究者で、もろもろのしがらみがなかったのだろう。
よく紹介してくれたと思う。
『墨夷応接録』の現代語訳が収録されている。これを読んだだけでも、幕府方の交渉に当たった家臣たちがいかに優秀だったか、勇気があったかが分かる。
交渉の中心人物、林大学頭(はやしだいがくのかみ)を始め、本当の学問(当時は儒学)が身についている。学問もあり、人間的にも優れていて、論争にも長けていた。
一介の軍人ペリーなどより、学問でも人間力でもはるかにまさっていたのだ。
武力で脅すペリーに、大学頭は論理で切り返す。
『墨夷応接録』を読んでいると、やり込められて苦り切っているペリーの顔が目に浮かぶ。
幕臣たちは、命を懸けて、ペリーの強引な要求をはねつけ、譲歩を引き出している。
それは同書に収められている「下田追加条約」からも窺える。

おそらくペリーは日本を極東の未開国と侮っていたのだろうが、そうではなかった。
そういう立場から報告書を書いたら、日本のことを悪く書くに決まっている。
だから、『遠征記』はバイアスがかかっていると思って読まなければならない。『墨夷応接録』を読んでいて、日米双方の言い分を知っていた日本の歴史学者たちはいったい何をしていたのだ。猛省してほしい。

さて、ペリーが日本に開港を迫った表向きの理由は、日本近海で操業しているアメリカの捕鯨船が、燃料(石炭)、水食料などを日本で調達するためだった。
そう、ここでクジラが絡んでくる。

しかし、隙あらば日本を侵略しようとしていたという人もいる。
当時の世界の状況から言ってありえないことではない。
しかし、アメリカは1861年から南北戦争に突入する。
それで外国のことなど構っていられなくなった。
そんなことを言う人もいる。

2019/01/31 17:52 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

荒地 誤植? 2



エリオット全集(昭和35年)で確認した。
「コーヒ飲んで」と書いてある。
「コーヒー飲んで」ならまだしも、「コーヒ飲んで」はないと思う。
昨日も書いたように、原文はAnd drank coffeeとごく普通の英文だから、あえて間違って訳す意味がないのではないか。
文庫本の方は見ていないので分からないが、全集の解説にはこれについて何も触れていない。もし意図的にこうしたのなら、何らかの注が必要だろう。

翻訳者の深瀬さんが亡くなっているので、意図的なのか間違いなのか分からないということなのかな。

すっきりしない。

2019/01/27 17:31 | エッセイCOMMENT(3)  TOP

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