フェリーニ・メドレー



 田中刑事は、フリーでイタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニの映画音楽を使っていますね。
『甘い生活』とか、『道』とか、往年のイタリア映画ファンには懐かしい曲が流れる。曲を書いているのはニーノ・ロータ。
フェリーニの映画は、哀愁がある一方で、イタリアらしい猥雑さもある。まがい物っぽい感じもするし、さらに言えば「下品な美しさ」とでもいうべきものがある。こうしたフェリーニ映画を音楽で表現しているのがニーノ・ロータなのだ。
『道』の哀愁だけではない。フェリーニというと、日本ではどうしても『道』のイメージだが。
『サテリコン』『フェリーニのローマ』『フェリーニのアマルコルド』『ジンジャーとフレッド』『そして船は行く』などには、上に挙げた特徴も見られる。ぼくは特に、まがい物の感じが色濃くて、しかも文学的な『そして船はゆく』が好きだ。
フェリーニの独特の世界観をフィギュアで表現するのは難しいだろうと思う。
フェリーニの曲を使っているので応援していたのだが、残念だった。田中選手には、『道』以外のフェリーニ映画も見て、表現の幅を広げてほしいですね。

そう言えば、以前ピアソラの「ブエノスアイレスの春」も使っていたんじゃないかな。
ピアソラで滑るのも難しそうだ。

フェリーニとピアソラ。好みはぼくと合うのだが……

2018/02/18 22:32 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

ランゲルハンス



大学受験の時、理科は生物を選択した。膵臓のところで、ランゲルハンス島という名が出てくる。この名前が妙に印象に残った。村上春樹もそうだったのだろう。『ランゲルハンス島の午後』(1986)というタイトルのエッセイ集がある。
ランゲルハンス島とは、膵臓の内部に散在する細胞群である。形が島に似ているので、発見者のドイツの病理学者パウル・ランゲルハンスにちなんで、「ランゲルハンス島」と呼ばれている。
 また、『ランゲルハンス島航海記』という本もある。こちらは、ノイロニムス・N・フリーゼルという人が書いた架空の航海記である。日本では1992年に翻訳が出ている。
ドイツ軍艦ゼントー号による数多くの群島からなるランゲルハンス島を調査した地誌ということになっている。ランゲルハンス島は膵臓の内部にある細胞の名前であるから、ゼンドー号に同行して本書を著した探検家フリーゼルも実在の人物ではない。
この辺、ウィキペディアに寄りかかって書いている。
この本、ドイツ語からの翻訳なのに、日本語版のウィキにしか載っていないのはどういうこと? ドイツ語版と英語版くらいあってもいいのでは。うーん、あやしいなー。
ということで、原書は村上春樹の本より古いのか新しいのか分からない。図書館にあったので、貸し出しを申し込んだ。現物を見ればわかるだろう。

しかし、だ。入澤康夫がずっと前に『ランゲルハンス氏の島』(1962)という散文詩集を出している。これは確かだ。この間、図書館で『入澤康夫〈詩〉集成』という大部の本を見つけた。その最後の方に載っている。
入澤の「ランゲルハンス氏の島」には、ランゲルハンス氏と妻と令嬢が住んでいる(ランゲルハンス氏は旅行中で出てこないが)。ほかにもテロリストがいたり、画家がいたり、酒場があったりする。語り手は、令嬢の家庭教師である。ヨーロッパのどこかの島のよう。書き方が、フランス文学の影響を強く受けているようだ。
村上春樹も「ランゲルハンス島」を実際の島のように描いている。ランゲルハンスという響きは、日本人にとって魅力的だ。どうしても実際の島を描いてみたくなるのだろう。

『入澤康夫〈詩〉集成』を拾い読みしていたら、『倖せ それとも不倖せ』(1955)という詩集が目に付いた。このフレーズどこかで聞いたことがあるような……調べてみると、カルメン・マキ『山羊にひかれて』という歌に出てくる。作詞は寺山修二。寺山は他の作品を利用するのが得意だったようだ。(確か、引用が過ぎると、問題になったことがあると思う。)

入澤の代表作『わが出雲・わが鎮魂』は、エリオットの『荒地』の日本版ですね。

今まで入澤の詩を読んだことははずないのに、「失題詩篇」の歌い出しは、確かに記憶にある。アングラ劇で使われていたような気がするな……寺山修二あたりの。

心中しようと 二人で来れば

ジャジャンカ ワイワイ

2018/02/13 18:47 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

トロムセ



 河出書房新社から出ているメグレ・シリーズは全部で50巻ある。3年ほど前から、少しずつ読み継いでいる。前から順に読んできたが、今回は趣向を変えて、後ろの方から読んでみようと、シリーズ47冊目の『霧の港のメグレ』を読んだ。
 しかし、読んでいるうちに、これは以前読んだことがあると気が付いた。間違いなく読んでいる。ストーリーを覚えているもの。巻末に載っているメグレ・シリーズ全50巻のリストをコピーして読書ノートに貼り、読んだものはチェックを入れているのに、この巻にはチェックが入っていなかった。
 おそらく、何年か前にも後ろから読もうという気を起こして、『霧の港のメグレ』を読んだものと思われる。すっかり忘れているのだが。
 で、時々書いていることだが、読書していると偶然が重なる。『霧の港のメグレ』の登場人物の一人がノルウェーのトロムセから来た(241ページ)ことになっている。
 谷川俊太郎が滞在した「トロムソ」である。
ウィキペディアによる「トロムセ」「トロムソ」などと表記するという。
 全く違う本を読んでいて、同じ地名を発見する。
 こういう偶然があるから読書は面白い。
いや、少なくとも、こういうことを面白がる人は読書に向いている。

2018/02/12 22:37 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

軽みと余裕



表題作「トロムソコラージュ」は、ノルウェーの町トロムソを景色の断片、心象風景をコラージュしたもの。見開きの右ページには、谷川自身がトロムソで撮った写真が入っている。ユーモアも交えて自由に言葉を操る詩もいいが、写真も上手い。
 どの詩も従来の谷川の詩としては長く、ストーリー性がある。
 ゆえに読みやすい。「ほぼ日刊イトイ新聞」に載った「問う男」のドタバタが面白い。こういう詩は今までになかったんじゃないか。
 臨死体験をユーモラスに描いた「臨死船」も面白い。
最後の「この織物」の書き出しは最高。
 「詩人の墓」を除いて、2006年か、2007年に書かれた詩。
 題材も書き方も自由自在だ。「軽み」とユーモア、そして余裕がある。
 上手いとはいえ、初期の頃はやや生硬な表現もあったが、『トロムソコラージュ』の詩は技術的にも素晴らしい。と言っても、素人が歌を聴いて、専門的なことは具体的には指摘できなくても、この歌手はボーカル・テクニックがあると感じるという程度のことだが。

2018/02/10 16:19 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

滝口入道



 2か月ほど前にある会合で、高山樗牛の『滝口入道』が話題に出た。そこで、『滝口入道』読み返してみた。ぼくが高校生の頃は新潮文庫で出ていた。とても薄い本。この文庫本、実家の本棚に埋もれているはずだが、本は震災で崩れたまま整理していないので、図書館で借りた。
 岩波から出ている新日本古典文学大系の『明治名作集』の中に入っている。擬古文であるが、総ルビなので、歴史的仮名遣いが読めれば読める。例によって、必要以上に注は見ない。少なくとも、物語を追っている間は注を見ない。注でいちいち切れないで、一気に読むと非常に面白い話だということが分かる。
 
大きく分けると、斎藤時頼の恋と出家、横笛の物語、平家の没落、平維盛と斎藤滝口時頼との邂逅の4つの場面から成る。時頼は横笛に恋をするが、成就せず出家する。横笛は、あたら武士(もののふ)を出家させてしまったと、これも出家する。この恋愛ともいえない恋愛話に、平家の没落の話が絡んでくる。この辺の絡め方が非常にうまい。『平家物語』や『源平盛衰記』を巧みに取り込んでいる。
 先に「恋愛話ともいえない」と書いたが、しかしこれが、哀れ深くロマンチックなのだ。樗牛は日本の古典や漢文学に造詣が深く、歌舞伎や近松なども好きだったようだ。しかも英語が出来たから外国のものも読んでいる。 
 プロットがよく出来ている。ちょっと覗いてみるつもりが、読み出したらやめられず3日で読み切った。次はどうなるのだろうという書き方で読者を引っぱっていく(いわゆるサルペンスですね)。時頼や横笛の心理描写など、当時は斬新だったという。
 解説によると、『滝口入道』は高山樗牛が初めて書いた小説である。明治26年に読売新聞が募集した懸賞小説の1等賞なしの2等賞だ。1等を取れなかったのは、尾崎紅葉など4人いた審査員のうち、坪内逍遥が強く反対したためだという。坪内は歴史小説に「歴史の再現」を求めた。『滝口入道』は、『平家物語』のストリーと違うところがありそれが気に食わなかった。
 しかし、坪内の批判は自身の作品への批判となって返ってくる。上田敏や、懸賞小説の審査員の一人だった依田学海が、坪内の小説こそ「歴史の再現」になっていないと批判した。さらに樗牛も批判した。

 高山樗牛が『滝口入道』を書いたのは、帝大1年生、23歳の時だった。樗牛はのちに文芸評論家として名を成す。31歳で喀血して亡くなるまで、歴史、美術、哲学等様々な分野の評論を行った。
 23歳という若さでなぜこのような文体が書けたのか。
 山本夏彦は、樋口一葉が20代前半に、「たけくらべ」や「にごりえ」などの擬古文が書けたのは、伝統の力だと言っている。
 高山樗牛もそうなのだろう。
 若いうちに古典を吸収し、血肉と化すことができれば、こういう文体を書くことも可能なのだろう。それにしても、いまから見ると、想像をはるかに超えた、途方もないことのように思われるが。

2018/02/04 22:13 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

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