春を信じて



CDラジカセの調子が悪いので、久しぶりに電機店のオーディオコーナーに行った。安くて性能のいいプレーヤーがたくさん出ていた。以前から欲しかった、USBメモリーがさせるものを買った。
CDやUSBの音がいいのはもちろんだが、昔録音したテープを聴き返したら、わりといい音で再生された。これはいい、とあれこれかけていたら、ビル・エヴァンスのアルバムYou must believe in springを録音したテープが出てきた。
何気なく聞いていると2曲目のYou must believe in springのメロディに聞き覚えがある。これって、『ロシュフォールの恋人たち』に出てくる「マクサンスの歌」が元歌だったんですね。ビル・エヴァンスのアルバムは昔から聞いている。You must believe in springのメロディも当然馴染みがある。だから、後年ぼくは『ロシュフォールの恋人たち』に出会ったとき、すぐに好きになったのだ、と今気が付いた。
You must believe in springは、直訳すると「あなたは春の存在を信じなければならない」という意味。つまり、「春は必ずめぐって来る」ということ。
このメロディには英語の歌詞がついている。今は雪が降っていて寒いけれど、必ず春がやってくるように、必ず愛もやって来る……といった内容だ。なんだか、シェリーの「冬来たりなば、春遠からじ」みたいだなと思って読んでいくと、なんと、シェリーの句をそっくり引用しているではないか。びつくり。
歌い出しはこんな風。
When lonely feelings chill
The meadows of your mind,
Just think if Winter comes,
Can Spring be far behind?
大意を取ると、「孤独で心が寒い時は、冬の次には春が来る、と考えたらどうなか」くらいか。If Winter comes, can Spring be far behind? (冬来たりなば、春遠からじ)がシェリーからの引用だ。冬と春が大文字になっているのは、擬人化しているから。Can Spring be far behind?は、いわゆる修辞疑問。「冬さん」が来るなら、「春さん」だってずっと遠くにいるだろうか(いやいない、すぐ近くにいるだろう)という感じですかね。

2017/11/17 22:11 | 音楽COMMENT(0)  TOP

ジョニ



しばらくニューヨーカーを見ていなかったので、図書館へ行った。いつも読む書評記事を見ていたら、ジョニ・ミッチェルの伝記の書評が載っていた(2017年10月9日号)。ジョニの歌をたくさん引用しながら、ジョニのことを上手に紹介している。ジョニの伝記については、あまりコメントしていないような気がするが。ジョニ・ミッチェルについて語り出すと、自分がどのようにジョニの歌を聴いてきたか語りたくなるらしい。
 実はこの間、『ジョニ・ミッチェルという生き方』という本を借りたばかりだった。
長年ジョニの歌を聴いてきているのに、ジョニについてほとんど何も知らない。そこで、本でも読んでみようかと思い立ったのだ。『ジョニ・ミッチェルという生き方』も、結局は、筆者とジョニの関わりについて書いている。

新しい伝記のタイトルはReckless Daughter: A Portrait of Joni Mitchellというもの。この本の題は、Don Juan’s Reckless Daughter(『ドンファンのじゃじゃ馬娘』)という1977年のジョニのアルバムタイトルからとっている。ベーシストのジャコ・パストリアスが参加している作品で、サウンドはジャズに傾いている。
ジャコのほかにも、サックスがウェイン・ショーター、ドラムがジョン・ゲラン(シンガーズ・アンリミテッドのアルバムなどで叩いている)、ギターがラリー・カールトン、パーカッションがドン・アライアスにアイアート・モレイラ(いずれもチック・コリアのバンドで活躍。アイアートは名盤『リターン・トゥ・フォーエヴァー』でドラムをたたいていた。奥さんのフローラ・プリムが冒頭のスキャットを歌っている)、そしてバックコーラスがチャカ・カーンだ。
詩の内容も、初期の頃に比べて、かなり変わってきている。ニューヨーカーの記事は、ジャズのサウンドになってから「歌詞が無限に長くなった」と言っている。長いというより饒舌になってきているような気がする。文学的な引用が多くなり、アイロニーが強くなってきているようにも感じる。もともとジョニは、感受性豊かで、文学的な語彙を駆使して歌詞を書いていたし、アイロニーも、哀しみも感じられたのだが。
『ドンファンのじゃじゃ馬娘』に収録されている歌の歌詞は、現代詩みたいで、ぼくは面白いと思う。アルバム『逃避行』『ミンガス』にもジャコが参加している。この2枚の歌詞も面白い。
ぼくは、ボブ・ディランよりも、ジョニ・ミッチェルの方が文学的だと思う。ノーベル賞、ボブがもらえるなら、ジョニだって貰えるんじゃないの。まあ、ノーベル賞は政治にコミットしていないと貰うのは難しいのかもしれないが。(だから村上春樹は貰えない?)
ニューヨーカーの記事によると、『ドンファンのじゃじゃ馬娘』の2曲目Talk To Meはボブ・ディランの子どもっぽさがテーマだという。「私たちは~ついて話せるわ」と言って、いろいろな人の名前が挙げてあるので、ジョニの歌詞の訳詞では時々あることだが、訳注がついている。真ん中辺で、「チャップリンの映画について、あるいは、Bergman’s nordic blues」について話せるわ、と歌っているところがある。Bergmanに「イングリッド・バーグマンのことか?」という注がついているが、このBergmanは映画監督のイングマル・ベルイマンのことだろう。ベルイマンの映画って、暗いですよね 、『処女の泉』とか。それでnordic bluesと言っているのでは。直前がチャップリンの映画ですしね。
イングリッド・バーグマンも、イングマル・ベルイマンも共にスウェーデン出身。英語ではどちらもBergmanと書くし、発音はバーグマン。だが、日本では、女優はアメリカ式にバーグマンで、監督はスウェーデン式にベルイマンなのだ。
 しかし、『ドンファンのじゃじゃ馬娘』に付いている訳詞はよく出来ている。注もたくさんついているが、1977年、インターネットもない時代に、ここまでよく調べたものだと思う。

2017/11/04 21:02 | 音楽COMMENT(2)  TOP

Dream a little dream of you



夢のカリフォルニア』、『マンデーマンデー』などのヒットで知られるママス&パパス。カセットテープに録音した音源を聴いていたら、聞き覚えのあるメロディに出くわした。
調べてみると、Dream a little dream of youという曲だった。
例によって、記憶をたどって思い出してみると、エンゾ・エンゾのベスト盤に行きついた。2曲目にles yeux ouvertsという曲が入っている。邦題は「夢の中の愛」。Dream a little dream of youにエンゾ・エンゾがフランス語の詞を付けて歌っている。ママパパと同じようなテンポなのだが、ずいぶん印象が違う。もとは古いジャズのスタンダードナンバーらしい。

60年代にぼくが音楽を聴き始めた頃には、ママパパはまだ活動していたと思うが、何故かリアルタイムで聴くことはなかった。ずいぶん後になって、図書館でCDを借りて録音したのが今回のカセットテープ。ほかにビートルズのI call your nameもカバーしている。
Dream a little dream of youとI call your nameでリードボーカルをとっているママ・キャス・エリオットは、若くして亡くなっている。4人の中では、一番歌が上手かった。
もう1人の女性ボーカル、ミシェル・フィリップスは、女優として今でも活動している。
ウィルソン・フィリップスという女性3人組のグループは、フィリップスの娘1人と、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンの娘2人から成る。残念ながらこの3人、生で歌うとあまり上手くない。ミシェルの娘はともかく、ブライアンの娘はもっと上手くてもいいのにな。

「夢のカリフォルニア」と言ったら、ぼくにとっては、ホセ・フェエリシアーノの歌か、ジョージ・ベンソンのギター演奏なのだが、オリジナルは、ママス&パパスなんですね。作ったのは、ジョン・フィリップスとミシェル・フィリップスだ。

2017/10/14 18:10 | 音楽COMMENT(0)  TOP

さよならを教えて



ぼくなどが言っても詮無いことは分かっているが、どうしても気になるので書く。

今日、この間までやっていたNHKの朝ドラ『ひよっこ』のダイジェスト放送をしていた。
で、登場人物たちが「恋愛モード」になると、太田裕美の声で♪ル、ル、ル、ル、ルッル、ルルッルー~という歌が流れてくる。朝ドラの放映中に、米屋のシーンで最初に聞いたとき、『さよならを教えて』に日本語の詞を付けて歌っているのだと思った。ところが、後半になるとメロディーが少し変わってくる。
ここまで『さよならを教えて』を引用しておいて、自分で作曲しましたというのはどうなのかな。
『さよならを教えて』は、もともとヴェラ・リンという人が歌ってヒットしたジャズのナンバーだ。フランソワーズ・アルディはこのメロディーが気に入ったので、セルジュ・ゲンズブールにフランス語の歌詞を書いて貰ったのだという。
原曲はスローなバラードだが、テンポアップして、おしゃれに仕上げたのはゲンズブールのアイディアか。ほとんど原形をとどめない。ジャズのスタンダードナンバーが、ポップな曲に生まれ変わった。ゲンズブールの歌詞もおもしろいし、見事。
ここまで変えても、レコードジャケットの後ろに印刷してある曲のタイトルの下に括弧してIt Hurts to Say Goodbyeと書いてあるし、作詞ゲンズブールと並んで、作曲者の名前も書いてある。

「冬のソナタ」と「愛はかげろう」とか、「君恋し」とSeptember Songとか、聴いてみてくださいよ。
ぼくなどが言っても詮無いことですが。

2017/10/09 22:29 | 音楽COMMENT(0)  TOP

シャンソンの名曲3



なぜか歌手の名前だけ記憶にあるものがある。1人目は、第9巻7曲目に出てくるミシェル・デルペッシュ。デルペッシュという珍しい響きの名前が、名前好きのぼくの記憶に残っていたのだと思う。しかし、彼が歌う「哀しみの終わりに」は聞いたことがあるような気もするし、ないような気もする。布施明を彷彿とさせる歌い方で、声も似ている。メロディーは日本人好みだが、歌詞は、洪水で家は壊れてしまったが、2人で建て直そうといった内容だ。このメロディーからだと、日本では失恋の歌を連想するが。
そう思っていると、「愛の歴史」同様、これもサーカスが「去りゆく夏」としてカバーしていた。原曲の力強い歌詞に比べて、内容が空疎。このヘナチョコぶりは何なんだ! と笑い出したくなる。メロディーも同じ歌とは思えないほど、ヘナヘナになっている。

名前に聞き覚えがある歌手がもう1人いる。第5巻の11曲目から出てくるエンリコ・マシアスだ。もっとも彼の「恋心」(L'amour, C'est Pour Rien)という歌はよく知っている。♪恋なんて 何になるの~という歌ですね。永田文夫が訳詞している。しかしこれは、原詞と内容が逆だという指摘がある。たしかに、原曲は恋を肯定的にとらえている。そしてサビの部分で、恋は何かのためにするのではない、お金で売ったり、買ったりできない、と歌っている。Can’t buy me loveですね。
L'amour, C'est Pour Rienというフランス語は直訳すると、「恋は何のためでもない」という意味だ。pour rienは英語で言うとfor nothingで、「無駄に、無料で、見返りを求めず」といったところだろう。永田はこれを否定的に取ったんですね。たしかに、L'amour, C'est Pour Rienだけなら、恋なんて無駄なことだ、と取れなくもない。原曲の歌詞を読むまではぼくもそう思っていた。しかし、歌詞のほかの部分が恋を肯定しているので、恋は何かのためにするのではなく、恋のためにするのだ、というような解釈になるだろう。
そうはいっても、ぼくは永田訳が好きだが。

永田文夫の訳詞では岸洋子が歌っている。ほかに、菅原洋一が歌う、なかにし礼の訳詞もある。これは永田以上に恋に否定的だ。岩谷時子の訳詞が原詞にいちばん近いだろう。3番は少し違うと思うが。歌っているのは越路吹雪。
えっ、越路吹雪って「愛の讃歌」ですよね。日本語の歌詞が原曲と離れていると言われている、あれですよね。そう言えば、「愛の讃歌」の作詞は岩谷時子だった。

「幸せを売る男」といい、「恋心」といい、越路吹雪って、何かにつけて、日本のシャンソンに立ちはだかるなあ。

2017/07/17 21:49 | 音楽COMMENT(0)  TOP

 | BLOG TOP |  NEXT»»