馬琴日記



少し前に図書館に行ったら、新刊コーナーに『曲亭馬琴日記』別巻というのが1冊だけ並んでいた。ペラペラめくってみると索引の巻らしい。肝心の日記はないのかと思い、検索してみたが見当たらなかった。別巻だけ借りる人がいるのか、と思ったのでよく覚えている。
今日、図書館に行ったら、日記が6巻ほど、別巻と一緒に新刊コーナーに出ていた。別巻を先に買ったのですね。
馬琴と言えば『八犬伝』くらいしか知らないが、漢字が並んでいて面白そうなので、第1巻を借りてきた。特に何かの役に立つということもないし、物好きが過ぎるかもしれないが、
そもそもぼくの読書は「物好き」以外の何物でもないのだから、ま、いいだろう。
「まえがき」を読む。
30年ほど前、早稲田大学図書館で所蔵していた馬琴の日記の版本を翻刻した。様々な事情でそれが未完になっていたので、当時の編者の中でただ一人存命だった柴田光彦が再編集を依頼されて完成したものだ。中央公論新社の創業20周年記念事業だという。
旧版の編者の中に懐かしい名前を見つけた。早稲田の教授だった暉峻康隆。ぼくが学生の頃、西鶴の注釈者としてよく目にした。
こういう地道な仕事を手堅くやっている学者たちがいるんですね。
頭が下がる。

2018/04/14 17:49 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

小さな活字離れ



伝記はたいてい最初が面白い。
『高橋是清自伝(上)』を書店で見て、面白そうだと思った。
破天荒な人生。一攫千金を夢見て南米まで行く。
帯を読んでいると面白そうだ。
ところが残念なことに、活字が小さい。上下2巻で、この長さで、この大きさの活字はつらい。3巻になってもいいから、あと1ポイント大きくしてほしかった。高校生や大学生で『高橋是清自伝』を買う人数と中高年で買う人数とどちらが多いか、おのずと明らかだろう。それなら、中高年向けに活字を大きくしてほしかった。
新潮文庫にできるのだから、中公にできないわけがない。
岩波文庫も、表紙をカラフルにしたり、文庫の案内書を作ったりする前に、活字を大きくしたらどうか。そのほうがよっぽど売れるぞ。
なんでこんな簡単なことが分からないのか。

ぼくの周りにも読書家はたくさんいるが、皆さん小さな活字は避けている。
学生だって大きな活字の方が読みやすいだろう。
中公や岩波の編集者がこのブログを読む確率、なんてないと思うから、こんなことを書いても無駄だろうが、ぼくが中公文庫の編集者だったら、『高橋是清自伝』の活字は大きくするよう強硬に主張しただろう。
大きくしたら売れるぞ。

活字の大きさ問題、また書いてしまった。

2018/04/09 22:02 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

フェリーニ・メドレー



 田中刑事は、フリーでイタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニの映画音楽を使っていますね。
『甘い生活』とか、『道』とか、往年のイタリア映画ファンには懐かしい曲が流れる。曲を書いているのはニーノ・ロータ。
フェリーニの映画は、哀愁がある一方で、イタリアらしい猥雑さもある。まがい物っぽい感じもするし、さらに言えば「下品な美しさ」とでもいうべきものがある。こうしたフェリーニ映画を音楽で表現しているのがニーノ・ロータなのだ。
『道』の哀愁だけではない。フェリーニというと、日本ではどうしても『道』のイメージだが。
『サテリコン』『フェリーニのローマ』『フェリーニのアマルコルド』『ジンジャーとフレッド』『そして船は行く』などには、上に挙げた特徴も見られる。ぼくは特に、まがい物の感じが色濃くて、しかも文学的な『そして船はゆく』が好きだ。
フェリーニの独特の世界観をフィギュアで表現するのは難しいだろうと思う。
フェリーニの曲を使っているので応援していたのだが、残念だった。田中選手には、『道』以外のフェリーニ映画も見て、表現の幅を広げてほしいですね。

そう言えば、以前ピアソラの「ブエノスアイレスの春」も使っていたんじゃないかな。
ピアソラで滑るのも難しそうだ。

フェリーニとピアソラ。好みはぼくと合うのだが……

2018/02/18 22:32 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

ランゲルハンス



大学受験の時、理科は生物を選択した。膵臓のところで、ランゲルハンス島という名が出てくる。この名前が妙に印象に残った。村上春樹もそうだったのだろう。『ランゲルハンス島の午後』(1986)というタイトルのエッセイ集がある。
ランゲルハンス島とは、膵臓の内部に散在する細胞群である。形が島に似ているので、発見者のドイツの病理学者パウル・ランゲルハンスにちなんで、「ランゲルハンス島」と呼ばれている。
 また、『ランゲルハンス島航海記』という本もある。こちらは、ノイロニムス・N・フリーゼルという人が書いた架空の航海記である。日本では1992年に翻訳が出ている。
ドイツ軍艦ゼントー号による数多くの群島からなるランゲルハンス島を調査した地誌ということになっている。ランゲルハンス島は膵臓の内部にある細胞の名前であるから、ゼンドー号に同行して本書を著した探検家フリーゼルも実在の人物ではない。
この辺、ウィキペディアに寄りかかって書いている。
この本、ドイツ語からの翻訳なのに、日本語版のウィキにしか載っていないのはどういうこと? ドイツ語版と英語版くらいあってもいいのでは。うーん、あやしいなー。
ということで、原書は村上春樹の本より古いのか新しいのか分からない。図書館にあったので、貸し出しを申し込んだ。現物を見ればわかるだろう。

しかし、だ。入澤康夫がずっと前に『ランゲルハンス氏の島』(1962)という散文詩集を出している。これは確かだ。この間、図書館で『入澤康夫〈詩〉集成』という大部の本を見つけた。その最後の方に載っている。
入澤の「ランゲルハンス氏の島」には、ランゲルハンス氏と妻と令嬢が住んでいる(ランゲルハンス氏は旅行中で出てこないが)。ほかにもテロリストがいたり、画家がいたり、酒場があったりする。語り手は、令嬢の家庭教師である。ヨーロッパのどこかの島のよう。書き方が、フランス文学の影響を強く受けているようだ。
村上春樹も「ランゲルハンス島」を実際の島のように描いている。ランゲルハンスという響きは、日本人にとって魅力的だ。どうしても実際の島を描いてみたくなるのだろう。

『入澤康夫〈詩〉集成』を拾い読みしていたら、『倖せ それとも不倖せ』(1955)という詩集が目に付いた。このフレーズどこかで聞いたことがあるような……調べてみると、カルメン・マキ『山羊にひかれて』という歌に出てくる。作詞は寺山修二。寺山は他の作品を利用するのが得意だったようだ。(確か、引用が過ぎると、問題になったことがあると思う。)

入澤の代表作『わが出雲・わが鎮魂』は、エリオットの『荒地』の日本版ですね。

今まで入澤の詩を読んだことははずないのに、「失題詩篇」の歌い出しは、確かに記憶にある。アングラ劇で使われていたような気がするな……寺山修二あたりの。

心中しようと 二人で来れば

ジャジャンカ ワイワイ

2018/02/13 18:47 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

トロムセ



 河出書房新社から出ているメグレ・シリーズは全部で50巻ある。3年ほど前から、少しずつ読み継いでいる。前から順に読んできたが、今回は趣向を変えて、後ろの方から読んでみようと、シリーズ47冊目の『霧の港のメグレ』を読んだ。
 しかし、読んでいるうちに、これは以前読んだことがあると気が付いた。間違いなく読んでいる。ストーリーを覚えているもの。巻末に載っているメグレ・シリーズ全50巻のリストをコピーして読書ノートに貼り、読んだものはチェックを入れているのに、この巻にはチェックが入っていなかった。
 おそらく、何年か前にも後ろから読もうという気を起こして、『霧の港のメグレ』を読んだものと思われる。すっかり忘れているのだが。
 で、時々書いていることだが、読書していると偶然が重なる。『霧の港のメグレ』の登場人物の一人がノルウェーのトロムセから来た(241ページ)ことになっている。
 谷川俊太郎が滞在した「トロムソ」である。
ウィキペディアによる「トロムセ」「トロムソ」などと表記するという。
 全く違う本を読んでいて、同じ地名を発見する。
 こういう偶然があるから読書は面白い。
いや、少なくとも、こういうことを面白がる人は読書に向いている。

2018/02/12 22:37 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

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