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使用人が必要だった。



考えてみれば当たり前のことだが、なかなかこういうことに思い至らない。

ヴェルサイユ宮殿は、そこに住む主人たち、つまり王侯貴族だけでは維持してゆけなかった。
そこには、4000人を超える使用人がいたという。
侍従、医者、身の回りを世話する人々、料理人、厩舎の管理、語学教師、消防士、神父その他大勢の人々が働きながら暮らしていた。

また、ヴェルサイユは宮殿を中心とする街だった。
宮殿内に住めない人々は街に住んでいた。

原著は1960年代に出た古い本だが、いまだに読み継がれているという。
日本語訳はこれが初めてのようだ
時々気になる表現はあるが、読みやすく、分かりやすい翻訳になっている。

筆者は古文書学の専門家だったそうだ。
当時の手紙、出生証明書などの教会の記録、メモ、領収書など、あらゆる古文書を精査している。
読んでいると、よくこれほど大量のメモなどが保存してあったものだと、感嘆する。
使用人が書いた手紙などどこかへ行ってしまうのではないかと思うのだが。

そして、これらの古文書を繙いて、興味深い話に再構成する筆者の筆力がこの本を面白くしている。

意外だったこと。
ヴェルサイユで働いていた使用人の一人は、長年仕えたことに対して年金を申請している。
革命で王制がひっくり返ったのだから、年金を欲しいと請求する対象そのものが無くなったのではないかと思ったが、そうでもないようだ。
フランス革命後もしばらくは、王制が維持されていたということか。

2019/07/06 22:28 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

間の詩人



安藤元雄はぼくにとってフランス詩の紹介者だった。
フランス語と対訳の『フランス詩の散歩道』の著者であり、岩波文庫の『フランス名詩選』の編者であり、『悪の華』の翻訳者だった。

先日、図書館の新刊コーナーで、『安藤元雄詩集集成』という白い本を見つけた。
安藤元雄が詩人だったことを初めて知った。安藤の名は何十年も前から知っていたのに。

『安藤元雄詩集集成』には彼が発表した詩集が年代順にすべて収められている。
寡作な詩人だったので詩集は9つしかない。
『秋の鎮魂』から順に読んでいく。言葉の使い方がいい。読んでいて心地よい。例によって、なにが言いたいのかはよくわからないが。
まあ、現代詩は音楽を聴くように読めばいいんじゃないかな。

解説によると、安藤は、田村隆一など荒地派の詩人の下の世代で、谷川俊太郎や大岡信の上の世代だという。モダニズムでもあり、象徴主義的でもある、のかな。
渋沢孝輔や入沢康夫が同世代らしい。
「正統、寡作、孤高、控え目。」というのが彼の詩を特徴づけているという。

9作とも面白く読めた。なかでも『カドミウム・グリーン』と『わがノルマンディー』が良かった。

23歳の時に出した最初の詩集『秋の鎮魂』(1957)から、「初秋」の一部を引く。

(前略)
いぶかしげに見まわすおまえの目に、しかしむろん海もその波も映りはしないだろう。ここは落葉松の林にかこまれた山あいのひっそりした村はずれ、おまえの吸う空気にも樹の肌の匂いがするばかりで、鳥たちの啼声もとだえがちのようだ。だが、そこには少しかしいでその廃屋の白壁がある……
ああ、おまえは信じるだろうか、この壁に遙かに海が秘められているということを。
(後略)

「廃屋の白い壁に海が秘められている」なんて、カッケー! と思いません?

2019/06/01 21:54 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

明治のパリに遊ぶ



与謝野晶子の夫としてしか知られていない鉄幹。

♪妻をめとらば、才たけて~、という詩だけは知られている?

いずれにしても鉄幹は、今では影が薄い存在だが、『鉄幹晶子全集』第10巻に収められている、鉄幹・晶子のパリ旅行記「巴里より」は、旅情をかきたてる。それは鉄幹の文章力に負うところが大きい。文章家としては、鉄幹の方が晶子より上のような気がするな。

実はこれ、鉄幹が旅行中に日本に書き送った原稿と晶子が旅行中に書き送った原稿を合わせて出来ている。二人がそれぞれの視点から書いたパリ旅行通信を東京の新聞社に寄せたものをまとめたものなのだ。

明治44年から大正2年にかけて、パリに旅行した時のことを書いている。
鉄幹は明治44年に出発した。船でスエズ運河からマルセイユを経てパリに入った。
晶子は翌45年にシベリア鉄道でパリに行く。

結構長い本で、しばらく明治の巴里を楽しめそうだ。

2019/05/02 18:14 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

ワシントン・ブラック



時は1830年代。
南米ベネズエラの沖にうかぶ島、バルバドス島のサトウキビ・プランテーションで生まれた奴隷のジョージ・ワシントン・ブラック(この安易な名前の付け方!)。
農場主の弟“ティッチ”が島にやってきたことから、島を出ることになる。
アメリカのノフォークに上陸。そこからまた船でカナダのハドソン湾に行き、エスキモーと共に暮らす。そしてノヴァスコシアへ。そこで知り合った海洋学とその娘と共にイギリスへ渡る。
ワシントン少年の逃避行でもあり、冒険物語でもある。恋愛も、アクションもある。
ストーリーは面白く展開していく。舞台も次々に変わる。
特に後半は、あれよあれよという間に読んでしまった。
ただ、ストーリーがあまりにも上手く出来すぎている嫌いがある。
予定調和的に過ぎる。

純文学系とはちょっと違う。日本で言ったら直木賞作家と言ったところか。
この作品、2018年度のマンブッカー賞候補のショートリストに残ったのだが、受賞は逃した。面白いけど、人間の心の深いところを描いていないのが、受賞を逃した理由の1つか。

作者は若いアフリカ系カナダ人女性。

少し前に、奴隷でヨーロッパに渡ってコメディアンになったショコラの本を紹介した。
ノンフィクションではあるけれど、こちらの方が、話が純文学的だ。

しかし、『ワシントン・ブラック』は面白い話ではある。
そのうち日本語訳が出るだろう。
いや、その前に映画化されるかな。

2019/04/30 16:38 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

クジラからペリーへ



ペリーが浦賀に来たとき、幕府の役人はおろおろした。
ペリーに武力で脅されて、不利な条約を押し付けられた。
幕末の幕府の武士たちは無能だった。

教科書でも、司馬遼太郎の小説でも、こういう書き方をしているんじゃないかな。
だから大方の日本人は、そう思っているはずだ。

しかし、それはアメリカ側の資料『ペリーの日本遠征記』に基づいた見方だ。

小説家はさておき、歴史家が、ペリー来航という歴史的な出来事を扱うのに、ペリーが自分に都合のいいように書いている、アメリカ政府に提出した資料だけを基にするのはいかがなものか。
だが、140年もそういう状態が放置されていた。

『墨夷応接録』は、ペリーとの交渉を記した日本側の公式記録だ。
著者によると、幕末を研究する歴史学者にとって、基本文献中の基本文献だという。幕末史の専門家なら皆この資料を読んでいるというのだ。
ところが、何故か一般には全く知られていなかった。歴史学者が紹介しなかったからだ。
何か意図があったとしか思えない。

もう一度言うが、アメリカ側と日本側の資料を読んで、どちらの言い分がより真実に近いのか、同時代の別の資料などを参照しながら探っていくというのが学問ではないのか。
そんなことは、ぼくのような素人でもすぐに考え付く。
日本の歴史学者は何をしてきたのか。

『墨夷応接録』の著者は若い研究者で、もろもろのしがらみがなかったのだろう。
よく紹介してくれたと思う。
『墨夷応接録』の現代語訳が収録されている。これを読んだだけでも、幕府方の交渉に当たった家臣たちがいかに優秀だったか、勇気があったかが分かる。
交渉の中心人物、林大学頭(はやしだいがくのかみ)を始め、本当の学問(当時は儒学)が身についている。学問もあり、人間的にも優れていて、論争にも長けていた。
一介の軍人ペリーなどより、学問でも人間力でもはるかにまさっていたのだ。
武力で脅すペリーに、大学頭は論理で切り返す。
『墨夷応接録』を読んでいると、やり込められて苦り切っているペリーの顔が目に浮かぶ。
幕臣たちは、命を懸けて、ペリーの強引な要求をはねつけ、譲歩を引き出している。
それは同書に収められている「下田追加条約」からも窺える。

おそらくペリーは日本を極東の未開国と侮っていたのだろうが、そうではなかった。
そういう立場から報告書を書いたら、日本のことを悪く書くに決まっている。
だから、『遠征記』はバイアスがかかっていると思って読まなければならない。『墨夷応接録』を読んでいて、日米双方の言い分を知っていた日本の歴史学者たちはいったい何をしていたのだ。猛省してほしい。

さて、ペリーが日本に開港を迫った表向きの理由は、日本近海で操業しているアメリカの捕鯨船が、燃料(石炭)、水食料などを日本で調達するためだった。
そう、ここでクジラが絡んでくる。

しかし、隙あらば日本を侵略しようとしていたという人もいる。
当時の世界の状況から言ってありえないことではない。
しかし、アメリカは1861年から南北戦争に突入する。
それで外国のことなど構っていられなくなった。
そんなことを言う人もいる。

2019/01/31 17:52 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

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