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ナブッコ



出口治明の『「全世界史」講義Ⅰ』を読んでいたら、アッシリアの王ネブカドネザル2世は、イタリア語でナブッコといい、ヴェルディのオペラ『ナブッコ』になっているということを知った。『ナブッコ』はいわゆる「バビロン捕囚」を描いたオペラだという。
『ナブッコ』は、ユダヤ人の独立への憧れを描いているが、当時イタリアではオーストリアの支配からの独立機運が高まっていて、このオペラが受けたという。
だが、ぼくにはちっとも面白くなかった。
ストーリーがあまりにも単純だ。ナブッコはユダヤの神にあっさり負けて、ユダヤの神を讃えさえする。
ぼくに言わせれば駄作だ。
まずユダヤの神ありきのストーリーで、ここぞというときは神が解決してしまう。つまり奇跡が起きる。これはないよ。
指揮者が汗だくで、熱演しているのもいただけない。
珍しく日本人が出演しているのだが、残念だ。

というわけで、『ナブッコ』ファンの方には申し訳ないが、2時間ちょっとを無駄にした。

2018/09/06 22:12 | オペラCOMMENT(2)  TOP

わたしはミミ?



以前この欄で紹介した『トーマス・マン』の日記に、『ラ・ボエーム』のレコードを聴くところが出てきて、なかでも有名なアリア「わたしはミミ」を聴いたとある。なぜか翻訳では、「わたしはミミ」(ミ・キアマーノ・ミミ)とイタリア語の読みが括弧に入っている。
このイタリア語の読みが間違っているのではないかと思った。
「わたしはミミ」なら「ミ・キアーモ・ミミ」Mi chiamo Mimiである。
DVDについている資料で調べてみると、ミ・キアマーノ・ミミMi chiamano Mimiが正しかった。これだと「みんなはわたしをミミと呼ぶ」という意味だ。
誰かがが最初に、「わたしはミミ」としてしまったんですね。DVDの字幕には「みんなはわたしをミミと呼ぶ」と書いてあるんですが。
日本ではこのタイトルで定着しているし、今さら変える必要もないと思う。
ただ、小さな発見として、ここにお知らせする。

『ラ・ボエーム』という作品は傑作なのだろうが、ぼくには良さが分からなかった。筋が単純すぎるような気がする。オペラの筋というのはこんなものなのだろうが、ドニゼッティのように、音楽の力でぐいぐい引っ張っていくところがないからか、あまり面白くない。
まあ、ぼくは、ワーグナーとドニゼッティのほかはあまり評価しない非常に偏ったオペラファンなのでそう思うのかもしれないが。

オリヴィア・ハッセーの『ロミオとジュリエット』、エリザベス・テーラーの『じゃじゃ馬ならし』、アッシジのフランチェスコを描いた『ブラザー・サン シスター・ムーン』などで知られる、イタリアの映画監督フランコ・ゼフェレッリが演出と装置を担当している。ゼフェレッリは、譜面は読めないが、子供のころからイタリアオペラに親しんでいるので、メロディも歌詞もみんな頭に入っているのだという。イタリア人にとってオペラとはそういうものなのですね。高尚な芸術ではなく。

2017/09/27 21:35 | オペラCOMMENT(0)  TOP

ピーア・デ・トロメイ



イギリスの作家、サマセット・モームの『人間の絆』の登場人物が言う。
「ドニゼッティのオペラ1作と、ワーグナーのオペラすべてを取り替えてもいい」。
この言葉、以前にも紹介したが、久しぶりに『ピーア・デ・トロメイ』を見ていて思い出した。
ぼくはワーグナーのファンでもあるから、モームの言葉に全面的には賛成できないが、やはり、ドニゼッティはすばらしい。

ドニゼッティと言えば『愛の妙薬』が有名だ。これは喜劇の傑作である。
そして、悲劇の傑作と言えば、『ラメンモールのルチア』や『ピーア・デ・トロメイ』を挙げることができる。
ドニゼッティのオペラは、次々に物語が展開し、間然とするところがない。特にこの『ピーア・デ・トロメイ』のストーリー展開は速い。なにしろ、オペラには付きものの長い前奏曲がないのだ。短いイントロのあと幕が上がると、いきなり物語の核心へと突き進む。
ピーアの夫ネッロの従弟ギーノは、ピーアが結婚する前に、ピーアに愛を打ち明け拒絶された。可愛さ余って憎さ百倍。ギーノはピーアの落ち度を見つけようとしている。
ギーノは、ピーア宛の、男からの手紙を手に入れた。そこには、今夜あなたに会いに行く、というちょっと見にはラブレターのようなことが書いてある。ギーノは、ピーアが不貞を働いている証拠として、それを戦場にいる従兄ネッロの元に送るのだ。
手紙を受け取ったネッロは、妻を不貞の廉で処刑するよう戦場から命令を出してしまう。
ピーア宛の手紙、じつは、ピーアの兄からのものだったと判明するが、ときすでに遅く、戦場にいるネッロに、この事実を知らせる手立てがない。

ギーノは自分の愛を拒絶したピーアを陥れようとする。しかし、まだ愛してもいる。
ピーア宛の手紙が、ピーアの兄からのものだと知って、ギーノは激しく後悔する。
ギーノは根っからの悪人ではないのである。
このあたりの気持ちの変化を表現するのが、ギーノ役の聞かせどころだ。シュムンクというテノールが歌っているが、実にうまい。
また、悲劇のヒロイン役、パトリツィア・チョーフィの歌・演技が見事で、ぼくはこれを見て、すっかりチョーフィのファンになった。あの華奢な体のどこから、あのすばらしい歌声が出てくるのか、不思議だ。
このTDKコア・シリーズに入っているほかのオペラも見ていただくと分かるが、いまどきは、美人で、ほっそりしていて、歌も演技もうまいという、何拍子もそろったオペラ歌手がたくさんいる。
死にそうな役なのに、歌っている歌手が、でっぷり太っていて、元気そうで、とてもそうは見えないという指摘は、もう過去のものになりつつあるのだ。

2014/03/30 10:05 | オペラCOMMENT(0)  TOP

ヘンゼルとグレーテル



ドイツの作曲家、エンゲルベルト・フンパーディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』見た。グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』を下敷きにしているが、ストーリーはかなり変えてある。
オペラが始まる前に、会場の様子が映し出されると、あちこちに子供の姿が見える。
これは子供が見て楽しむオペラなのだ。子供の頃からオペラに親しむのにちょうどよい作品だと思う。
子供向けということで、グリム童話のように、もうこれ以上食べ物がないから、子供たちを森に捨てようと亭主をそそのかす継母は出てこない。
子供たちは、母親が仕事から帰ってくるまでにしておくように言いつけられた仕事をしていなかった。また、壺に入っていたミルクを飲んでしまって、ふざけていて壺を割ってしまった。その罰として、母親はヘンゼルとグレーテルを森へイチゴを摘みに行かせるのである。子供の観客がこんなにいては、口減らしに子供を森に捨てるという、オリジナルの設定は採用できないだろう。
ヘンゼルとグレーテルが、森でお菓子の家を見つけて食べ、魔女に捕まって、食べられそうになるところは同じ。魔女をかまどの中に押し込み、焼いてしまうところも同じだが、オペラでは、グリムのように、魔女はただ死んでしまうわけではなく、魔女の姿をしたクッキーに焼きあがり、かまどから出てくる。見た目がかわいい魔女のクッキーを見ると、魔女を焼き殺すという、けっこう残酷なシーンが、マイルドな感じになる。
グリム童話では、魔女を殺したヘンゼルとグレーテルは、魔女の家から宝石などをポケットに詰められるだけ詰めて持ち帰る。家に帰ると、都合よく継母は死んでいて、持ち帰った宝石のおかげで、父親と3人幸せに暮らしましたとさ、ということになる。
オペラでは、魔女がかまどの中でクッキーになってしまうと、それまで魔女に捕らえられていた大勢の子供たちの魔法がとけ、目が覚めるという設定だ。ここでもマイルドなストーリーになっている。
ヘンゼルはメゾソプラノ、グレーテルはソプラノが演じている。子供の役なので、わりと小柄な歌手が選ばれている。この2人のコミカルな演技が面白い。NHK教育テレビの歌のお兄さんお姉さんを髣髴とさせる。
背が低くても、太っていても、美人でなくても、ハンサムでなくても、オペラって、いろいろな役が必要だから、歌が上手くて演技が上手ければ、自分の役どころというのは、必ず見つかるものなのですね。
内容はグリムとは違うが、ストーリーも、フンパーディンクの音楽も、すばらしい。
ミュージカルの原点て、こういうところにあったのかと、改めて思った。
舞台セットや背景の絵が特徴的だ。
一目で、『かいじゅうたちのいるところ』のモーリス・センダックのものと分かる。
DVDの表紙に使われている絵は、実際に舞台で使われている。
かなり大きなものだ。
舞台で見ると迫力がある。

2014/03/22 22:31 | オペラCOMMENT(0)  TOP

ワルキューレ



コッポラが『地獄の黙示録』で使用して以来、闘争心をあおる、あの「ワルキューレの騎行」の旋律が一人歩きしている。

ぼくは、『ワルキューレ』は戦いの話だと思い込んでいた。
しかし、これはジークリンデとジークムントの愛の物語なのですね。
その一挿話として「ワルキューレの騎行」の場面がある。

不穏な弦の響きから、甘やかで、艶のある旋律へと登りつめる前奏曲が、いかにもワーグナーらしい。

幕が上がった瞬間から、舞台の空気は張り詰めている。
ジークリンデ役のアンゲラ・デノケのパフォーマンスは、身のこなし、表情、歌のどれをとっても完璧だ。ひじょうに官能的であると同時に、深い悲しみも表現している。

DVDのライナーノートによると、この『ワルキューレ』を見た批評家のひとりは、このオペラのタイトルを『ジークリンデ』と変えたほうがいいといって、褒めたとか。
確かに、後半に出てくる、有名な「ワルキューレの騎行」の場面が色あせてしまった。ワルキューレ役の歌手もすばらしいヴォーカルテクニックで聴かせるのだが、その前のデノケが、あまりにもすばらしいのだ。

演出は『ラインの黄金』よりもさらに斬新だ。
戦闘のシーンでは人の代わりに大きな人形が戦う。
ワルキューレ(娘)とヴォータン(父)が互いに心情を歌いあう第3幕では、テレビモニターが効果的に使われる。
そして最後には、照明用のライトを引っ張りながら、ヴォータンが歌う。
この辺になると、従来の『指輪』を見てきた人たちの中には、異議を唱える人が出てくるかもしれない。ぼくには、なかなか面白い演出だと思われるけれども。

2013/06/16 21:26 | オペラCOMMENT(0)  TOP

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