プラハ墓地



前回、イタリア史の本に触れた。
なぜ今頃イタリア史かというと、いまウンベルト・エーコの最新作『プラハ墓地』(英訳)を読んでいるからだ。
『プラハ墓地』は、イタリアが現在の統一国家になる前の、19世紀中ごろから話が始まる。
小国が乱立し、周辺諸国からの独立を企てている。そこに、周辺諸国のフランス、オーストリアなどの思惑がからむ。さらに宗教もからんでくる。
かなり複雑な状況だ。
ガリバルディだの、カヴールだの、マッツィーニだの、赤シャツ隊だの、千人部隊だのと言われても、イタリア史などほとんど知らない。
そこで『イタリア史』を読んでおこうと、ぱらぱらめくってみた。
ま、歴史的背景など分からなくても、エーコの、この小説は十分に面白いのだが。

「語り手」は、パリの骨董屋で、日記を見つける。これを書いているのがシモニーニという公証人の男。この男ピエモンテ王国のスパイで、シチリアにいるガリバルディの動向を探ったり、パリに亡命しているイタリア人活動家たちを罠にはめたりする。物語は主にこのシモニーニの日記により進行する。
つまりシモニーニから見たイタリア建国の歴史というわけだ。シモニーニに都合のいいように話が進むということを頭に入れて読んでいかなければならない。
ところが、「語り手」が時々顔を出して、シモニーニがおかれている状況を客観的に(?)説明したりする。ここは、「客観的」に見えるだけで、「語り手」のバイアスがかかっているということを頭に入れて読んでいかなければならない。
そしてさらに、神父のデッラ・ピッコラという人物の手紙やメモが時々出てきて、シモニーニの記述を訂正する。
このピッコラという人物が、シモニーニと同一人物のようにも考えられるし、別人のようにも考えられるように書いてある。
シモニーニが二重人格であるような、ないような書き方なのだ。

『バウドリーノ』では、語り手のバウドリーノが、開口一番、わたしは嘘つきだと言って、途方もない物語を語りだす。
『薔薇の名前』では、たしか、ラテン語で書かれた文書を見つけて、そこに書かれていることを現代語に訳していくというようなことになっていたと思う。いや、もっと複雑な構成になっていたかもしれない。ショーン・コネリーの映画で1度見ただけなのでよく覚えていないが。
こうした、語り手の韜晦は、エーコの得意技なのである。

『プラハ墓地』では、極端な反ユダヤ主義を描いている。シモニーニは筋金入りの反ユダヤ主義者という設定なのだ。
だから、日記の中には、ユダヤ人を貶める言説がたくさん出てくる。これだけの事をまともに書いたら差別主義者として非難されかねない。そこでエーコは、語り手を韜晦しているのだ。

まだ半分しか読んでいないから、なんとも言えないが、語りを二重三重に韜晦したとしても、反ユダヤ主義は、エーコ自身の考えなのではないのかという印象を持ってしまう。
読み終わってから、もう一度考えようと思う。

2013/06/28 16:22 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

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