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芥川龍之介考



著者の中村稔は詩人で弁護士だが、ぼくは、自伝『私の昭和史』の著者として記憶している。
その中村が、初期作品、王朝小説、切支丹小説、短歌など、芥川が書いたほとんどすべての作品について、ジャンル別に考察している。
目の付け所が面白く、楽しく読めた。
しかし、随所に引用してある芥川の原文を読んで、上手いとは思うものの、ぼくはそれほど芥川が読みたいとは思わなかった。
どうもぼくは昔から、芥川の才気が苦手だ。

中村は、初期の作品『老年』についての三好行雄の解釈・鑑賞を引用していて、これには同意できないと言っている。ぼくも同感だ。
『老年』を読んでどうしてこういう解釈が書けるのかわからない。
よく考えると、意味不明だが、いかにも評論風の見栄えのいい表現を並べたように見える。
三好はぼくの世代では、わりとよく知られている文芸評論家だ。学生の頃、彼の評論を参考にしてレポートを書いたりしたこともあったと思う。
しかし、『老年』の鑑賞文は、カッコいい言葉を書き連ねているだけで、内容は空疎だ。
当時は、三好のように感じられないのを、自分の理解力不足、鑑賞力不足のせいだと考えたものだが、中村の意見を読んで、そうではなかったのかもしれないと思った。

三好が芥川の『老年』について書いているのは、76年と少し古いから、最近ではこういう解釈は改まっているのかと思いきや、同じく中村が紹介している、関口安義の『芥川龍之介』(岩波新書、1995年)でも、三好と同様の勘違いをしている。
『老年』の「房さん」は、猫に向かって話しかけているのではない。猫は傍らにいるだけで、「誰に云うともなく」語っているのである。
素直に読めば、こういう読み違えはしないと思うのだが、自分が書きたい解釈に合わせて読んでしまっているようだ。
ぼくはまず、テキストを精読するところから出発すべきだと思うが、解釈が先にありき、という書き手もいる。用心しなければならない。

国文学の研究者とか評論家には、それほど読解力が必要ないということか。

2014/12/29 22:10 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

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