シャンソンの名曲3



なぜか歌手の名前だけ記憶にあるものがある。1人目は、第9巻7曲目に出てくるミシェル・デルペッシュ。デルペッシュという珍しい響きの名前が、名前好きのぼくの記憶に残っていたのだと思う。しかし、彼が歌う「哀しみの終わりに」は聞いたことがあるような気もするし、ないような気もする。布施明を彷彿とさせる歌い方で、声も似ている。メロディーは日本人好みだが、歌詞は、洪水で家は壊れてしまったが、2人で建て直そうといった内容だ。このメロディーからだと、日本では失恋の歌を連想するが。
そう思っていると、「愛の歴史」同様、これもサーカスが「去りゆく夏」としてカバーしていた。原曲の力強い歌詞に比べて、内容が空疎。このヘナチョコぶりは何なんだ! と笑い出したくなる。メロディーも同じ歌とは思えないほど、ヘナヘナになっている。

名前に聞き覚えがある歌手がもう1人いる。第5巻の11曲目から出てくるエンリコ・マシアスだ。もっとも彼の「恋心」(L'amour, C'est Pour Rien)という歌はよく知っている。♪恋なんて 何になるの~という歌ですね。永田文夫が訳詞している。しかしこれは、原詞と内容が逆だという指摘がある。たしかに、原曲は恋を肯定的にとらえている。そしてサビの部分で、恋は何かのためにするのではない、お金で売ったり、買ったりできない、と歌っている。Can’t buy me loveですね。
L'amour, C'est Pour Rienというフランス語は直訳すると、「恋は何のためでもない」という意味だ。pour rienは英語で言うとfor nothingで、「無駄に、無料で、見返りを求めず」といったところだろう。永田はこれを否定的に取ったんですね。たしかに、L'amour, C'est Pour Rienだけなら、恋なんて無駄なことだ、と取れなくもない。原曲の歌詞を読むまではぼくもそう思っていた。しかし、歌詞のほかの部分が恋を肯定しているので、恋は何かのためにするのではなく、恋のためにするのだ、というような解釈になるだろう。
そうはいっても、ぼくは永田訳が好きだが。

永田文夫の訳詞では岸洋子が歌っている。ほかに、菅原洋一が歌う、なかにし礼の訳詞もある。これは永田以上に恋に否定的だ。岩谷時子の訳詞が原詞にいちばん近いだろう。3番は少し違うと思うが。歌っているのは越路吹雪。
えっ、越路吹雪って「愛の讃歌」ですよね。日本語の歌詞が原曲と離れていると言われている、あれですよね。そう言えば、「愛の讃歌」の作詞は岩谷時子だった。

「幸せを売る男」といい、「恋心」といい、越路吹雪って、何かにつけて、日本のシャンソンに立ちはだかるなあ。

2017/07/17 21:49 | 音楽COMMENT(0)  TOP

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