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クジラからペリーへ



ペリーが浦賀に来たとき、幕府の役人はおろおろした。
ペリーに武力で脅されて、不利な条約を押し付けられた。
幕末の幕府の武士たちは無能だった。

教科書でも、司馬遼太郎の小説でも、こういう書き方をしているんじゃないかな。
だから大方の日本人は、そう思っているはずだ。

しかし、それはアメリカ側の資料『ペリーの日本遠征記』に基づいた見方だ。

小説家はさておき、歴史家が、ペリー来航という歴史的な出来事を扱うのに、ペリーが自分に都合のいいように書いている、アメリカ政府に提出した資料だけを基にするのはいかがなものか。
だが、140年もそういう状態が放置されていた。

『墨夷応接録』は、ペリーとの交渉を記した日本側の公式記録だ。
著者によると、幕末を研究する歴史学者にとって、基本文献中の基本文献だという。幕末史の専門家なら皆この資料を読んでいるというのだ。
ところが、何故か一般には全く知られていなかった。歴史学者が紹介しなかったからだ。
何か意図があったとしか思えない。

もう一度言うが、アメリカ側と日本側の資料を読んで、どちらの言い分がより真実に近いのか、同時代の別の資料などを参照しながら探っていくというのが学問ではないのか。
そんなことは、ぼくのような素人でもすぐに考え付く。
日本の歴史学者は何をしてきたのか。

『墨夷応接録』の著者は若い研究者で、もろもろのしがらみがなかったのだろう。
よく紹介してくれたと思う。
『墨夷応接録』の現代語訳が収録されている。これを読んだだけでも、幕府方の交渉に当たった家臣たちがいかに優秀だったか、勇気があったかが分かる。
交渉の中心人物、林大学頭(はやしだいがくのかみ)を始め、本当の学問(当時は儒学)が身についている。学問もあり、人間的にも優れていて、論争にも長けていた。
一介の軍人ペリーなどより、学問でも人間力でもはるかにまさっていたのだ。
武力で脅すペリーに、大学頭は論理で切り返す。
『墨夷応接録』を読んでいると、やり込められて苦り切っているペリーの顔が目に浮かぶ。
幕臣たちは、命を懸けて、ペリーの強引な要求をはねつけ、譲歩を引き出している。
それは同書に収められている「下田追加条約」からも窺える。

おそらくペリーは日本を極東の未開国と侮っていたのだろうが、そうではなかった。
そういう立場から報告書を書いたら、日本のことを悪く書くに決まっている。
だから、『遠征記』はバイアスがかかっていると思って読まなければならない。『墨夷応接録』を読んでいて、日米双方の言い分を知っていた日本の歴史学者たちはいったい何をしていたのだ。猛省してほしい。

さて、ペリーが日本に開港を迫った表向きの理由は、日本近海で操業しているアメリカの捕鯨船が、燃料(石炭)、水食料などを日本で調達するためだった。
そう、ここでクジラが絡んでくる。

しかし、隙あらば日本を侵略しようとしていたという人もいる。
当時の世界の状況から言ってありえないことではない。
しかし、アメリカは1861年から南北戦争に突入する。
それで外国のことなど構っていられなくなった。
そんなことを言う人もいる。

2019/01/31 17:52 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

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