これが日本語か



高校の現代文の教科書に文芸評論家の山本健吉の文章が載っている。
「歳時記について」というタイトルだが、これがドイツ語を使っていて、非常にわかりにくい。調べてみると、この文章は山本の『ことばの歳時記』という本の「まえがき」である。『ことばの歳時記』では、見開き2ページで1つの季語をエッセイ風に解説している。本文はいたってわかりやすい。面白いとさえ言える。しかし、この「まえがき」はいただけない。
前半はまだ分かる。しかし、後半、ゾルレンとザインというドイツ語を片仮名で出してきた途端に話がややこしくなる。教科書の注もいただけない。「ゾルレン 当為。まさにあるべきこと。」とある。ザインのほうは、「ザイン 存在。必然的にあらざるを得ないこと。」とある。「当為」とか、「必然的にあらざるを得ないこと」と言われても、なんのことだかわからない。これが日本語か。

sollenは、ドイツ語辞典で調べると、ゾレンと読むようだ。「ゾルレン」は日本での慣用読みらしい。意味は「~すべきである、~するのが当然だ、~しなくてはならない」。ドイツ語の綴りから類推すると、英語のshouldに近いのかな。ドイツ語辞典には、名詞としては、Sollenとsが大文字になり「当為」という訳語がある。
seinは「(~が)ある。存在する」という意味。英語で言ったらbe動詞か。Seinも名詞としては「存在」という意味がある。
山本は言う。
「歌の題は、和歌の美に適合するものが長い伝統の間に自然に選択されたという点で、ゾルレンの意味を持っている」
「それに対して、俳句の題は無限に拡大する素材の世界を整理したという点で、ザインの概念を与えるためのものだ」
どうですか。さっぱりわからないでしょう。

山本はザインとゾルレンを定義していない。後半にいきなり出てくる。
こんな書き方で、俳句をやっている人たちにはわかるのだろうか。
いや、そもそも、山本健吉はドイツが出来たのだろうか。ドイツ語の中で、seinとsollenを十分に使いこなせるだけのドイツ語力があったのだろうか。
たとえドイツ語が出来て、ドイツ語で書かなければニュアンスが伝わらないと思ったにしても、ドイツ語が出来ない読者には、ニュアンス以前に意味さえ伝わらない。

山本の文章はかなり昔のものだ(1965年)。
当時はまだ、文芸評論にドイツ語を混ぜるというのが流行っていたのだろう――ザハリッヒとか、シュトルム・ウント・ドランクとか、ビルドゥングス・ロマンとか……ぼくも知っているドイツ語を並べてみた。
ドイツ語はできなくても並べることならできる。

2016/06/29 12:02 | エッセイCOMMENT(2)  TOP

コメント

Re: タイトルなし

本文を読んでいないのによくわかりますね。洞察力が素晴らしい。
ゾルレンはその通りなのですが、ザインがいま一つわかりにくいですね。
ザインとゾルレンは、もともとカントが使っているようです。日本でもそのまま、ザインとゾルレンで使っている、のかな?
哲学が流行った世代の人たちには、わかるのかもしれませんね、ザイン、ゾルレンで。

No:18 2016/06/30 17:15 | desultory #- URL [ 編集 ]

山本健吉のいっていることは、たぶんこう
「和歌の題材(テーマ)は長い和歌の歴史の中で美的とみなされて淘汰、選択されてきたものであって”しかるべきもの”であるのに対して,俳句の題材は,日常的なものも含まれるために膨大な数になるが、俳句の題材としてこのようなものもあるという’存在”を知らしめるものである。」
私の解釈ですけれど。
ドイツ語の翻訳って,難しいのじゃないかな。だいたい哲学系の言葉ってそれをたどって行くだけで,深い森の中に入って戻れなくなることが多いよね。ま,原文で読むとそれほど難しくないという人もいるにはいるけど。

No:17 2016/06/30 12:36 | keity #- URL [ 編集 ]

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