明るい結末



最近、パトリシア・ハイスミス原作の『キャロル』が映画化されたせいか、書店に行くとパトリシア・ハイスミスの作品がいろいろ並んでいる。ハイスミスは映画『太陽がいっぱい』の原作だけかと思っていたが、他にもたくさん書いているんですね。

そんなこともあって、丸谷才一の『快楽としてのミステリー』をペラペラめくっていたら、パトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』について書いている文章が目に付いた。丸谷は、アラン・ドロンが出た映画ではなく、ハイスミスの原作『才能あるリプリー氏』について論じている。

丸谷の文章を読むと、原作と映画でストーリーが少し違うようだ。一番違うのは、たぶん結末らしい。簡単に言うと、映画『太陽がいっぱい』では犯人が捕まって、小説『才能あるリプリー氏』では捕まらない。ハイスミスの犯人は、大金を手に入れ、まんまと逃げおおせる。クリスティやクイーンの犯人のように、「慎重に知的な計画を立て、手際よく実行するが、しかしなぜか些細な所で致命的な失敗を犯す」のとは違うのだ。

どうも映像の世界では、悪が栄える、というのはご法度のようだ。いや、アメリカ映画などは悪が栄える結末どころか、アンハッピー・エンディングもダメなんじゃないかな。例えば、結ばれない恋の話とか。(まさか!)
しかしこれでは、描かれている人間に深みや陰影が出ないだろう。

今年の初めに輪読会で読んだ、オルダス・ハクスリーの『ジョコンダの微笑』が映画化されていると、輪読会の時、メンバーのひとりが教えてくれた。タイトルはそのものズバリ、A Woman's Vengeance(ある女性の復讐)。映画では真犯人が捕まって終わる、という。

小説『ジョコンダの微笑』では、夫が妻殺しの犯人として逮捕され、死刑になるのだが、真犯人は別にいる。そして、真犯人の女性にも、今となってはこの男性を救うすべはないように、ハクスリーは物語を巧妙に仕組んでいる。(毒殺であり、メイドが証言しているので、今真犯人の女性が名乗り出ても、男性をかばっているとしか思われない。)
しかし、真犯人の女性も、精神的に苦しんでいて、身体的にもかなりまいっている。掛かりつけの医者だけは真実を見抜いていて、女性に、あなたが殺しましたね、という。小説はそこで終わるのだ。

ところが、輪読会のメンバーの中には、映画の結末の方がいいという人がいる。犯人はやはり捕まるべきだというのだ。うーん、ハクスレーは苦心して皮肉な結末になるように書いているんだけどな。
最近、こうしたピューリタン的な人が目立つような気がする。
テレビの影響か。

2016/06/30 10:52 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

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