からごころは嘘をつく



丸谷才一の講演会のCDを聴いた。丸谷の読者ならお馴染みの、中国文学では恋愛を描かないのに日本文学はほとんどが恋愛を描いている、という話。
井上ひさしと中国に行った時のエピソードから話は始まる。
井上ひさしが中国の文学者を前にして、少しでもエロティックな冗談を言うと、日本ではくすっと笑うところなのに、中国の文学者は何事もなかったようにふるまうという。彼らも恋愛をしないわけではないが、人前で恋愛の話、あるいは性の話をすることは、タブーなのだ。これは儒教の影響だという。
漢字を始めとして、日本は中国の文化を取り入れてきたのに、儒教だって取り入れてきたのに、なぜか日本ではこの態度だけは取り入れなかった。

中国文学で恋愛を描いたものはほとんどないという。(そう言えば、漢詩でラブソングってないですよね。)
それに対して、日本文学は、源氏物語にしろ、古今集のような勅撰集にしろ、恋愛を描かないものはない。『曽我物語』のような仇討の物語でさえ、主人公たちはそれぞれ恋愛する。
日本人はなぜか恋愛ものが大好きなのだ。
そしてこれに気づいたのが、江戸時代の国学者、本居宣長である。

この辺から丸谷の話は熱を帯びてくる。
物語で恋愛を書くなんて当たり前じゃないか、というのは、われわれが西洋の文学を知っているからだ。江戸時代に戻ったつもりで考えてください。『赤と黒』も、『パルムの僧院』も、『谷間の百合』も、『ジェーン・エア』も、『トリスタンとイズー』も何もない状態。そういう状態で、日本文学は恋愛肯定的であり、中国文学はそうではないと考えたのが、宣長の偉いところ――
丸谷は話しているうちにだんだん夢中になってくる。文学が好きで仕方がないという話しぶりだ。いくつになっても文学青年というか、精神が柔らかいというか。

この講演は、1992年11月3日に高松市民会館で行われた。文藝春秋七十周年記念と菊池寛記念館開館記念を兼ねている。菊池寛は高松出身なんですね。
日本文学をダメにしたものとして、丸谷は自然主義文学と私小説を忌み嫌っているが、菊池寛は自然主義に抗した文学者のひとりであると丸谷は考えている。

2016/07/07 12:36 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

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