ぼくたちがいるから君がいる



ある文章を書いたとき、「功成り名を遂げた」という表現を使った。念のため確認すると、「功成り名遂げた」と「を」を入れない言い方が普通だという。「を」が入ると、対句にならないというのだ。
で、この成句の出典として、『老子』の「九章」を挙げているサイトがあったので、該当箇所を確認するついでに『老子』を通読してみた。
老子の言説は、逆説に満ちていて面白かった。

老子というと「無用の用」という言葉が思い浮かぶ。高校の古典で習った覚えのある方もいるだろう。花瓶や器は中身が入っていないから、ものを入れて使うことが出来る、何もないということが有用なのだというアレですね。
ここからは、ぼくが勝手に老子の考え方を敷衍しますよ。
たとえば、スポーツの競技会とか、音楽のコンテストとか、学校の成績とか。
出場者や受験者がたくさんいるから、1位から最下位まで順位が付く。
2、3人しかいなかったら、そもそも競技会にならないだろう。
出場者が1人なら1位に決まっている。
その他大勢の参加者がいるから、入賞者がいるのだ、と言えなくもない。
俺たちが下の方にいるから、お前がクラスで1番だということに価値があるんだぞ、と言えなくもない――うーん、ここまで来ると逆説でなく、負け惜しみか。

ぼくが読んだ中公文庫の『老子』では、第九章に「功遂げて身退くは、天の道なり。」とあり、少し違う。したがって、注では「功成り名遂げた」という成句について言及していない。
『老子』は古い本なので異本がある。おそらく校訂者によって版が違うのだろう。
この辺は今後の課題。何か分かったらお知らせする。

ちなみに、中公文庫の訳注者・小川環樹は、中国文学者・貝塚茂樹と湯川秀樹の弟である。
茂樹と秀樹はそれぞれ他家へ養子に行ったので、姓が違う。

2016/07/18 13:17 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

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