百年の散歩



自分でもあまり意識していないが、ぼくは意外と多和田葉子のファンらしい。和多田葉子の文章の流れに身を任せるのが心地よいと言ったらいいだろうか。以前からけっこう読んでいるし、新しく出た作品もたいてい目を通している。と言っても、話の筋は覚えていないのだが。彼女の小説は読んでいるときは面白いが、ストーリーがあまり残らないのだ。
この『百年の散歩』はエッセイなのか、小説なのか、ジャンル分けがむずかしい。ベルリンに実際にある通り(広場のこともある)を1つずつ取り上げ、紹介しているのだが、通りにいる人たちや建物の様子の描写が小説的だ。連想が働いて、途中から通りとはあまり関係ない話になることもある。
 
たとえば、リヒャルト・ワーグナー通りの紹介では、通りの具体的な描写に、ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」4部作の登場人物たちの話を織り交ぜて行く。何の説明もなくジークリンデとジークムントの出会いの場面(『ワルキューレ』の冒頭)が描写されたり、アルベリヒとラインの乙女たちの挿話(『ラインの黄金』)が語られたりする。こういうことを知らなくても、すんなり読めるように書いてあるのだが、こういうところにいちいち引っかかる人にはちょっと読みにくいかもしれない。
何しろ紹介している通りの名がカント通りだったり、カール・マルクス通りだったり、有名人の名前がついているので、その人の作品や生涯に連想が飛びやすいのだ。

この間見た読売の書評では、とにかく音楽を聴くように楽しめばいいと書いてあった。ということは裏を返せば、連想の飛躍について行こうとして挫折する読者がいるのではないかと心配して、書評子は先手を打っているのだとも言える。
ぼくも、読売の書評子が言うように、文章の流れに身を任せて楽しめばそれでいいと思う。

実はこの本、図書館で予約した。ぼくの前にも予約が入っていたので、しばらく待つことになるだろうと思っていたのだが、意外と早く本が借りられた。しかも本がきれい。ほとんど読んだ形跡がない。
読み始めては見たものの、多和田葉子のスタイルについていけなかったのだろう。
もう少し我慢して読み進めていけば、だんだんスタイルに慣れてきて、面白くなってくるのだが。 

2017/05/26 21:02 | 本の紹介COMMENT(2)  TOP

コメント

Re: タイトルなし

> 音楽を聴くように楽しむというのは、詩の世界では、よくあるのですが、小説だとちょっと難しいかもしれませんね。
いつもありがとうございます。
ぼくにとって、小説はまず文体です。文体の波長が合わないと読めません。「音楽を聴くように」というのは、文体の流れに乗るということでしょうか。やはり相性があると思います。小説だと、ぼくは石川淳の文体が一番好きですね。

No:43 2017/05/29 21:11 | desultory #- URL [ 編集 ]

多和田葉子さんの小説、ドイツ在住の作家として読まなければなあと思いながら読んでいません。音楽を聴くように楽しむというのは、詩の世界では、よくあるのですが、小説だとちょっと難しいかもしれませんね。

No:42 2017/05/29 19:37 | Keity** #- URL [ 編集 ]

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