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湖畔の愛



小説家というものは、角のタバコ屋に煙草を買いに行くだけのことで、1編の小説が書けなければならない、と言ったのは、確か中村真一郎だった。町田康の『湖畔の愛』を読んでいて、中村のこの言葉を思い出した。
舞台は、山の上の湖畔に建つさびれたホテル。まず、ホテルの従業員のキャラがたっている。支配人の新町と社員の女性、圧岡、そして雑用係のスカ爺や鶴岡老人。
物語は「湖畔」「雨女」「湖畔の愛」の3部に分かれ、だんだん話が長くなる。
宿泊客もキャラがたつ。「湖畔」ではわけのわからない言葉を話す実業家。「雨女」では、うれしいことを考えると必ず雨が降るという女性。「湖畔の愛」では、立脚大学の演劇研究会の部員たち。
何もないところから、雨女や演劇研究会の部員たちのキャラクターをよくもここまで描けるものだ。よく言えば、稀代のストーリーテラー、悪く言えば、口から出まかせ、嘘八百。しかしここまで、リアルに出まかせを語られると、かえって爽快である。
文体は例によって、古文と漢文と現代語の混淆、しかも『ホナサ』の時よりギャグや冗談が頻繁に出てくる。『湖畔の愛』では「お笑い」を扱っているから勢いそうなるのだが。

例えば、「噫座主」と書く。これはおそらく「ああざす」と読む。アアザースッ、つまり「ありがとうございます」を高校の野球部員風に言ったものか。
例えば、新町の冗談交じりのセリフ。
「さあて、村人の首でも括っていくか。後ろ姿の縊(くび)れていくか」
これは種田山頭火の自由律俳句「後ろ姿の時雨れてゆくか」のパロディ。
例えば、次のような描写。
「~腕のところに島帰りのような二本線の入った卵色のカーディガンを羽織った男」
江戸時代、罪を得て島流しになった者は、腕時計のように腕を一周する刺青を2本入れられた。昔は時代劇で、着物の袖をまくって、「てめえ、島帰りだな」なんてシーンがよくあった。最近はとんと見かけないが、風紀上よろしくないということで、自粛しているのだろう。若いのにつまらないことをよく知っている。
例えば、「弊履(へいり)の如く捨てる」とか、「嬋娟(せんけん)たる」とか、「たくらだ(間抜け)」とか、「懈怠(けたい)」とか、古典や明治文学あたりからの語彙を自在に引用する。

しかし、笑っているうちにしみじみしてくるのが町田の真骨頂だ。『ホサナ』もそうだったが、土俗の宗教的な感情というか、原始の力といったものを感じさせる。「魂の救済」っていうのが、町田の小説の根底にはあるような気がする。まあ、救済すると言っても、それは、たいした魂ではないのだが。

2018/07/08 22:21 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

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