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これだけ? 補遺



「ふだん」の漢字表記が気になったので、日本国語大辞典を引いてみた。
ふだん【普段】を引くと、⇒ふだん(不断)②、とある。
そこで、「不断」を引く。語義をまとめると、次のようになる。

ふだん【不断】
①物事が絶えないこと。絶え間なく続くこと。またそのさま。
②(当て字で「普段」とも)いつもと同じようであること。はじめからすこしも変わらないこと。いつもの状態であること。またそのさま。いつも。へいぜい。通常。日常。
③決断力がないこと。ぐずぐずしていること。

「補注」に、「②の意味に対応するようにあてられた表記は『平常』『平日』『平生』『平素』などが見られる。『普段』は明治以降の当て字」とある。
「平常」「平日」「平生」「平素」をすべて「ふだん」と読んでいたようだ。

②に挙げられている明治以降の例を以下に示す。
・若松賤子訳『小公子』から、「然るに、セデー丈には、普段(フダン)と違って、よく注意したといふものは」。
・漱石の『彼岸過迄』から、「敬太郎は此点に於て実際須永が横着過ると平生(フダン)から思ってゐた」。
・中原中也の『在りし日の歌』から、「彼はよそゆきを普段に着てゐた」。

明治以前の例文では、江戸時代の滑稽本『七偏人』(1857-63)で「平常(フダン)」、その前の『好色一代女』で「不断(フダン)」と書いている。
もっとも古い例は、1275年の『名語記』という本からで、「不断」。

もともと、「不断」だったものが、②の語義に限って、いろいろな字を当てられるようになったというのが、おおよそのところらしい。

丸谷才一全集第5巻及び文春文庫『樹影譚』収録の『鈍感な青年』で使われている「普断」は、大国語には載っていなかった。広辞苑にもない。丸谷のことだからきっと何か理由があるのだろうと考えながら、全集第5巻を読み進めていくと、『夢を買います』で、「なんて普段と違う声で言うの。」(48ページ13行目)というところに出くわす。
ここは「普段」となっている。
さらに読み進めると、『墨色の月』でも、「マスターは普段はもっと遅くはじめるのだが、」というくだりがある。
ここも「普段」。
文集文庫『樹影譚』に収められている『夢を買います』を確認すると、「普段」となっている。
ついでに『樹影譚』も読んでみると、「普段とは違ふ方角に足を運び、」(84ページ4~5目)と「普段の詮索好きとは違って」(109ページ後ろから2行目)の2つが目に付いた。
どちらも「普段」。
さらに、『挨拶はたいへんだ』(朝日文庫)をぺらぺらめくっていたら、詩人入沢康夫の高見順賞贈呈式での祝辞で、「普段と違うコースで、」と言っている。
ここも「普段」。

こうなると、「普断」が丸谷の書き癖とは言いにくい。
なぜ『鈍感な青年』だけ「普断」なのか。
やはり誤植なのか。それとも、何か意図があるのか。
編集委員に訊いてみたいところだ。

2013/12/12 11:51 | 語感COMMENT(0)  TOP

頼うだお方



『官僚ピープス氏の生活と意見』という本を読んでいたら、25ページで、milordを「頼うだ御方」と訳していた。
英和辞典によると、milordは「御前(ごぜん)、だんな、英国紳士」などという意味だ。
筆者はこれを、ちょっと古めかしく、「頼うだ御方」と言ったものと思われる。
いくつになっても知らない日本語がありますね。この言い回し、初めて聞いた。
まだ読み始めたばかりだが、読書は中断し、少し調べてみた。
そもそもこれ、なんと読むのか。「たのうだ」でいいのか。いいらしいですね。

手元の電子辞書(大辞泉)には、「頼うだ御方」では載っていなかったが、「頼うだ人」なら載っている。
「自分の頼みとする人。主人。」と語釈があって、狂言「末広がり」から、「こちの頼うだ人のやうに、ものを急に仰せ付けらるるお方はござらぬ」という例が挙がっている。

広辞苑第6版(2008)にも、見出し語は「頼うだ人」しかない。語釈には、「わが主人と頼んだ人。主人。頼うだ御方。頼うだ者。」とあるが。
やはり、狂言「末広がり」の例が挙げられている。大辞泉と同じ箇所から、「こちの頼うだ人のように」の部分だけが引用してある。

日本国語大辞典には、見出し語に、「たのうだ=人(ひと)[=お方(かた)]とある。語釈は、「身内・主人と頼んだ人。主人。」だ。
そして、狂言「末広がり」から、大辞泉、広辞苑と同じ箇所が引用してある。というより、大辞泉や広辞苑が、大国語の用例を使っていると言ったほうがいいかもしれない。
大国語には、他に3つほど用例が引いてある。一番古い用例は、天草本伊曾保物語(1593)から。ちなみに、伊曾保物語は、イソップ物語のこと。

ところで、「頼うだ御方」を使っている文章を見つけた。夢野久作の「お茶の湯満腹記」というエッセイ。3ページ足らずの短いものだが、5回使っている。「頼うだ御方」が3回、「頼うだ人」が1回、「頼うだお方」が1回と、表記の仕方はまちまちだ。
夢野久作が、「頼うだ御方」と「今一人の富豪」と3人で、三井物産の設立者、益田孝の家を訪問する。益田は茶人としても有名で、3人はお茶をいただく。そのときの様子を少し茶化して書いたのが「お茶の湯満腹記」だ。

益田孝は英語が堪能で、有能な実業家であった。また茶人としても有名で、鈍翁と号し、利休以来の大茶人と称されたという。大実業家で、趣味人。なんだか、テレビドラマに出て来る黒幕みたいなイメージだな。
ま、それよりも、この人の玄孫、つまり孫の孫が、歌手の岩崎宏美と結婚していた益田なんとかさんだ、という情報のほうが、皆さんには興味深い、かな。

2013/10/31 14:48 | 語感COMMENT(0)  TOP

横板に飴



『三浦老人昔話』でちょっと引っかかった言葉についてもう少し書く。
うちの電子辞書に載っていなかった言葉を日本国語大辞典で調べてみた。
「横板」を引くと、後ろのほうに、「横板に雨垂(あまだれ)」「横板に泥」が挙がっている。
語釈は、
(立て板に水」のもじり)つっかえつっかえものを言うさまのたとえ。*雑俳(ざっぱい)・あかねうら(1772頃)「かみ申しまするも横板に泥」
とある。その次に、
横板に飴を投げ付けるが如し
が挙がっている。語釈は、
(立て板に水」のもじり)話すのが遅いさまや、 つっかえつっかえものを言うさまのたとえ。横板に雨垂。横板に泥。*開化問答(1874-75)<小川為治>二・上「無智短才の僕風情が横板に飴を抛付(なげつ)くるが如き弁舌をもって解明(ときあか)さんこと思いもよらず」
とある。

用例の年代から、すくなくとも江戸時代にはこういう表現が使われていたことが分かる。

「横板に飴」のほうの例文は分かりやすいが、「横板に泥」の例文は分かりにくい。
「かみ」というのは、「アナウンサーがかむ」というときの「かむ+申す」で「かみ申す」なのか。あるいは「神申す」、「上申す」などいろいろ考えられるが、平仮名なのでわからない。
ちなみに手元の国語辞典で「かむ」を引くと、「アナウンサーがかむ」という意味での「かむ」の語釈は載っていないから、「アナウンサーがかむ」のは最近のことらしい。

一度辞書を引き始めると、次々に疑問がわいてきて、調べたいことが出てくる。
あとで、「雑俳・あかねうら」に当たってみよう。
それから、いい間違う、つかえる、という意味で「かむ」を使うようになったのはいつ頃からなのか、これも当たってみよう。

2013/09/17 12:10 | 語感COMMENT(0)  TOP

義仲の最後



『平家物語』巻第9の4に、「木曾の最期の事」というところがある。高校の古典の教科書で読んだことがある方もいるかと思う。だんだん味方が討たれて減ってゆく前半は、たいてい省略されていて、今井の四郎と木曾殿が2人だけ残る場面から最後まで引用してあることが多い。
源氏に追い詰められて、もはやこれまで、となったとき、今井の四郎兼平がいう。
「あそこに見えますのは、粟津の松原と申します。あの松の中でご自害なさいませ。わたしがここで追っ手を防ぎますから」
どこの誰とも知れない名もない雑兵に討ち取られるくらいなら、自害したほうがましだということだ。
そこで、義仲は、兼平が敵と戦って時間を稼いでいる間に、粟津の松原へと馬を進める。
ところが、正月の21日日没の頃なので、薄氷が張っていた。それとは気づかずに深田に馬を乗り入れてしまう。
で、馬はどろどろの田んぼの中に、頭までずぶずぶと沈んでしまい、鞭打っても進まない。
義仲が後ろで戦っている今井のことが気になって振り向いたとき、三浦の石田の次郎為久が放った矢がちょうど眉間に当たる。義仲は深手を負って馬の頭にうつぶしたところを、石田の郎党に首を取られてしまう。

ドラマチックな最期だ。細かいところの描写、話の運び方とも、実に上手くできている。しかし、こんなにうまく矢が当たるものだろうか。ここの場面を読むたびにそう思う。
いつも思うこと、もうひとつ。
義仲と今井四郎が再会する場面。お互いに再開を喜び合う台詞を言うが、これはまるで、恋人たちの再会の台詞のように聞こえる。しかし、「木曾の最期の事」の冒頭では、巴(ともえ)と山吹(やまぶき)という、2人の側室を連れていたと言っている。戦国時代にはよくあることだが、義仲はACDCだったのだろうか。

話がそれた。岡本綺堂の『三浦老人昔話』に戻る。
『三浦老人昔話』の中で、三浦老人が、粟津の木曾殿で大変でしたろう、と言っているのは、『平家物語』の先に紹介した場面を踏まえている。
話を聞きに来た若い物書きのわたしに向かって三浦老人は、雨が上がったばかりで道がぬかるんでいる中、わざわざ出かけてきてくれてありがとう、歩くのが大変でしたろう、と言っているのだ。

少し前までは、『平家物語』などの有名な場面は、一般に共有されていた。
『平家物語』のよく知られている場面はたいてい暗誦できると、赤塚不二夫がどこかで言っていたのを思い出した。それくらいのことは、特別習わなくても、いつの間にか覚えていたという。
古典が身近だった時代は、けっこう最近まであったのですね。

2013/09/05 09:56 | 語感COMMENT(0)  TOP

鼬の道




岡本綺堂の『三浦老人昔話』は、若い聞き手(語り手)が三浦老人を訪ねて、江戸の昔話を聞くという設定になっている。
鎧櫃に醤油を入れて大阪まで運ぼうとする食通の大名の話や、朝鮮人参を買うために姉が身売りしたのに、母親の病気はよくならず亡くなってしまい、医者を逆恨みして弟が仇を討つ話など、江戸時代の大名から町人まで様々な階級の、ちょっと面白い話や怖い話を、三浦老人が語る。
本の中で、三浦老人や語り手が使っている言い回しで面白いと思ったものをいくつか紹介しよう。
たとえば、「鼬の道」。
『鎧櫃の血』で、語り手と三浦老人は初めて出会う。
三浦老人がいつでも話を聞きに訪ねてくるように言うと、語り手は、知り合ったばかりだから迷惑かもしれないが、「鼬の道は悪い」と思って出かけてゆく。
手元の国語辞典で「鼬の道」を引いてみる。

《イタチは通路を遮断されると、その道を二度と使わないという俗信から》行き来・交際・音信が絶えること。鼬の道切り。

とあって、鴎外の『心中』から、「どうなすったの、鼬の道はひどいわ」という例が引いてある。
なかなかシャレた言い方だ。
シャレた言い方といえばもうひとつ。
『落城の譜』に、下手な講釈師を評して、「横板に飴で、途ぎれ途ぎれに読むのですから遣りきれません」というところがある。
「立て板に水」は聞いたことがあるが、「横板に飴」は初めて見た。飴のようにべたべたくっついて、話が前へ進まない様子がよく出ている。
手元の辞書を引くと、詰まりながらしゃべることのたとえとして、「横板に雨垂れ」というのはあるが、「飴」はなかった。
これも、手元の辞書には載っていないが、「邪が非でも刺青をしてくれ」(『刺青の話』)などという言い回しも出てくる。文脈から判断するに、「是が非でも」を少し言い換えているようだ。

最後に、『鎧櫃の血』からもうひとつ。
雨が降った後で、道がぬかるんでいる中を訪ねて行った語り手に、三浦老人が言う台詞。
「粟津の木曽殿で、大変でしたろう」
長くなりそうなので、これについては次回にゆずる。

2013/08/30 11:04 | 語感COMMENT(0)  TOP