伊勢の40段



古典の問題集を解いていたら『伊勢物語』の40段が問題として使われていた。
男が、そう悪くはない女を好きになった。ところが、心配した両親は、深い仲にならないうちにこの女を、人に頼んでどこかへ連れて行かせてしまう。男はまだ若く親がかりで、女は身分が低かったので、男も女もなすすべがなかった。そこで男が一首詠む。

いでていなば 誰(たれ)か別れの 難(かた)からん
ありしにまさる 今日(けふ)はかなしも

この歌の解釈が問題だ。
古典の問題集の解説、角川のビギナーズ・クラシックス『伊勢物語』、新明解古典シリーズ3『伊勢物語 大和物語』(三省堂)、あるいは図書館で借りた最新の注釈書『伊勢物語評解』(鈴木日出男)や『新校注伊勢物語』(片桐洋一、田中まき)、そして新潮日本古典集成、小学館の古典文学全集、さらに英訳本THE ISE STORIES(2010年)でも、この歌の解釈が皆同じになっている。
えっ、みんな同じでいいんじゃないの? いう声が聞こえてきそうだ。
しかし、ぼくはこの解釈に納得がいかないんですよね。ぼくは、角川ソフィア文庫の石田穣二の解釈が納得できると思うが、この解釈を取っているのは、昭和62年に右文書院から出ている、1600ページを超える大部の研究書『伊勢物語全評釈』しかない。

で、先の古典問題集の解答と解説を読むと、ビギナーズ・クラシックス等の解釈では、上手く説明できない問題がある。にもかかわらず、和歌の解釈に合わせて解答を書いているので無理がある。古典ができる高校生なら、疑問を持つだろう。解答が間違っているはずはないのに、どうも納得できないと、悩むだろう。できる子にとって、こういう解説は迷惑なのだ。問題を作っている人は、様々な研究書に当たるのはもちろんだが、自分の頭で考えてほしいと思う。
いくつかの注釈書は、この和歌の解釈は難しいと書いている。「いでていなば」の意味がよくわからないと言っているものもある。40段はそもそも問題文に向いていないのである。

また、角川のビギナーズ・クラシックの現代語訳はいただけない。
「女が自分から出て行くのなら、だれが別れ難く思うだろうか。(まだ諦めもつく。むりやり連れて行かれたのだから)。同じ家にいて逢えなかった今まで以上に、今日は何とも悲しいなあ。
最初に、「女が自分から出て行くのなら」と言っているのに、括弧の中で「むりやり連れて行かれたのだから」と言っているのはどういうことか。
ビギナーには分からないだろう(ぼくも分からないが)。
それに、この歌は、女が無理矢理連れて行かれてしまった時、男が血の涙を流して詠んだ歌なのに、「今日は何とも悲しいなあ」なんて暢気な口調でいいのか。

この歌の解釈について書くと長くなるので、とりあえずこの辺でひとまず筆を擱く。

2017/08/08 21:47 | エッセイCOMMENT(0)  TOP

シェイクスピア・プロジェクト



高校生になったとき、家にあった世界文学全集の第1巻に収められている『シェイクスピア作品集』を読もうと思った。しかし、高校生1年生の読解力では、歯が立たなかった。
戯曲や脚本は慣れていないと意外と読みにくい。言葉だけから情景を思いうかべられるようになるには、ある程度の訓練が必要だ。また、筋が頭に入るためには、ある程度のスピードで一気に読む必要がある。読めない漢字や言い回しにいちいち引っかかっていては、話の流れがつかめないのである。しかも、シェイクスピアの場合、駄洒落や語呂合わせが多く、猥褻なほのめかしや冗談(つまり下ネタですね)もわりと多い。
高校生のぼくには、読めない漢字や分からない言い回しがたくさんあった。下ネタに関しても、よく分からなかった。
シェイクスピアって面白くないな、というのが、高1のぼくの率直な感想だったと思う。

で、ここ1、2年、新潮文庫でシェイクスピア作品を読み直している。
シェイクスピアの作品の翻訳は、小田島雄志を始めたくさん出ているが、ぼくは福田恆存の訳が好きだ。日本語がしっかりしている。
今年に入って、月に1冊くらいのペースで、『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクレオパトラ』『ハムレット』と読んできて、つい最近『じゃじゃ馬ならし』を読み終えた。

『じゃじゃ馬ならし』を読み終えた頃、一路真輝がトーク番組でミュージカル『キス・ミー・ケイト』を宣伝しているのを見た。その時、挿入歌のSO IN LOVEが流れた。聞き覚えがあると思ったら、100円ショップで買った200円のCD『ジュリー・アンドリュース』に入っていた曲だった。ジュリー・アンドリュースも『キス・ミー・ケイト』をやっているんですね。
『キス・ミー・ケイト』は『じゃじゃ馬ならし』を下敷きにしている。
『じゃじゃ馬ならし』では、最初に「序劇」というのがあって、ここに酔っ払いが出てくる。この酔っ払いを騙して殿様に仕立て、この殿様に見せる劇が『じゃじゃ馬ならし』ということになっている。ところが、この酔っ払い、最初出ただけで最後まで出てこない。『じゃじゃ馬ならし』が終わると劇が終わってしまうのだ。なんのために「序劇」があるのか分からない。ミュージカルではこれはカットしてあるのでしょうかね。
また、ヴィンセンショー、ルーセンショー、ホーテンショーなど、登場人物の名前が似ていて分かりにくい。しかも、登場人物が入れ替わったり、偽名を使ったりする。読んでいるとけっこうややこしいのだが、この辺のところ、ミュージカルではどうなっているのでしょうね。

2017/08/01 20:50 | 本の紹介COMMENT(0)  TOP

シャンソンの名曲3



なぜか歌手の名前だけ記憶にあるものがある。1人目は、第9巻7曲目に出てくるミシェル・デルペッシュ。デルペッシュという珍しい響きの名前が、名前好きのぼくの記憶に残っていたのだと思う。しかし、彼が歌う「哀しみの終わりに」は聞いたことがあるような気もするし、ないような気もする。布施明を彷彿とさせる歌い方で、声も似ている。メロディーは日本人好みだが、歌詞は、洪水で家は壊れてしまったが、2人で建て直そうといった内容だ。このメロディーからだと、日本では失恋の歌を連想するが。
そう思っていると、「愛の歴史」同様、これもサーカスが「去りゆく夏」としてカバーしていた。原曲の力強い歌詞に比べて、内容が空疎。このヘナチョコぶりは何なんだ! と笑い出したくなる。メロディーも同じ歌とは思えないほど、ヘナヘナになっている。

名前に聞き覚えがある歌手がもう1人いる。第5巻の11曲目から出てくるエンリコ・マシアスだ。もっとも彼の「恋心」(L'amour, C'est Pour Rien)という歌はよく知っている。♪恋なんて 何になるの~という歌ですね。永田文夫が訳詞している。しかしこれは、原詞と内容が逆だという指摘がある。たしかに、原曲は恋を肯定的にとらえている。そしてサビの部分で、恋は何かのためにするのではない、お金で売ったり、買ったりできない、と歌っている。Can’t buy me loveですね。
L'amour, C'est Pour Rienというフランス語は直訳すると、「恋は何のためでもない」という意味だ。pour rienは英語で言うとfor nothingで、「無駄に、無料で、見返りを求めず」といったところだろう。永田はこれを否定的に取ったんですね。たしかに、L'amour, C'est Pour Rienだけなら、恋なんて無駄なことだ、と取れなくもない。原曲の歌詞を読むまではぼくもそう思っていた。しかし、歌詞のほかの部分が恋を肯定しているので、恋は何かのためにするのではなく、恋のためにするのだ、というような解釈になるだろう。
そうはいっても、ぼくは永田訳が好きだが。

永田文夫の訳詞では岸洋子が歌っている。ほかに、菅原洋一が歌う、なかにし礼の訳詞もある。これは永田以上に恋に否定的だ。岩谷時子の訳詞が原詞にいちばん近いだろう。3番は少し違うと思うが。歌っているのは越路吹雪。
えっ、越路吹雪って「愛の讃歌」ですよね。日本語の歌詞が原曲と離れていると言われている、あれですよね。そう言えば、「愛の讃歌」の作詞は岩谷時子だった。

「幸せを売る男」といい、「恋心」といい、越路吹雪って、何かにつけて、日本のシャンソンに立ちはだかるなあ。

2017/07/17 21:49 | 音楽COMMENT(0)  TOP

オリエント急行



物語はシリアのアレッポから始まる。
登場人物の一人はモスルのホテルに滞在したことになっている。
そう、いま新聞紙面を賑わしているあのモスルだ。
当時はのんびりしていましたね。
今でもオリエント急行、走ってるのかな。

早川のクリスティ文庫が少しずつ新訳に切り替わっている。
まだ全体のほんの一部だが。
で、この間、『五匹の子豚』を読んだ。新訳は山本やよい。これが面白かったので、続いてポアロ・シリーズの定番『オリエント急行の殺人』を読んだ。これも山本やよい訳。
ストーリーを書くと種明かしになってしまうので、忠臣蔵を思い出した、とだけ言っておこう。
ラストがいい。
ポアロは右京さんよりも鬼平に近いようだ。

2017/07/14 15:24 | 本の紹介COMMENT(2)  TOP

シャンソンの名曲2



メロディーに聞き覚えはあるが、タイトルが記憶にない歌もある。
例えば、第4巻の10曲目に入っているダニエル・ダリューの「小さな花」。これ、いい歌ですよ。調べてみると、ザ・ピーナツがカバーしていた。クラリネットの北村英治も吹いている。おそらく、それでメロディーに馴染みがあるのだろう。
ウィキによると、ダニエル・ダリューは「フランス古典派美人女優」なのだそうだ。分かったような、分からないような形容だが、写真を見ていただくと「なるほど古典派美人」だな、と納得していただけるかも。
彼女は女優として活躍したが、歌も踊りも上手かった。なんでこんなに歌が上手いかというと、彼女、もともとコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽・舞踊学校)で、チェロを学んでいたそうだ。音楽家を目指していたらしい。音楽の才能の方が先なんですね。デビューは14歳の時で『ル・バル』というミュージカル映画だ。
経歴を見ていて驚いた。
ダリューは『ロシュフォールの恋人たち』に出ているのだ。(50分のあたり。)双子の姉妹の母親イヴォンヌ役。『ロシュフォールの恋人たち』は、ぼくの好きなミュージカル映画で、このブログでも何度か取り上げている。しかし、『小さな花』を歌っている歌手と『ロシュフォール』のイヴォンヌが同じ人とは、気が付かなかった。映画はYou Tubeで見ているだけだから解説はない。CDは図書館で借りたものだから、USBに曲を入れただけで、解説をよく読んでいなかったのだ。
この映画、カトリーヌ・ドヌーブをはじめ登場人物は歌っておらず、ボーカルは別にいる。野口久光の解説は、歌手たちについても詳しいが、ダリューに関して、「有名なシャンソン歌手のダリュー」としか書いていない。野口にしてみればダリューは有名すぎて解説する必要がなかったのだろう。まあ、ぼくが無知だったということですね。
役者と歌手を截然と分けている中で、一人だけ演技も歌もこなしている人がいるのは、CDの解説で知っていたが、その時点ではダニエル・ダリューという名前はまだぼくにとって何物でもなかったのだ。
ダリューは1917年生まれ。今年で100歳になる。

2017/07/10 16:35 | 音楽COMMENT(0)  TOP